2023年2月21日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#428 夭折の天才“エゴン・シーレ”展~28年の生涯で生み出した唯一無二の絵画世界~】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事ではシーレを語る上では外せない、クリムトとウィーン分離派についてまとめていきます。
ウィーン分離派
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレが美術アカデミーに入学した頃、1897年に結成されたのがクリムトを中心とする『ウィーン分離派』です。
その初代会長を務めたのがクリムトでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ウィーン分離派の”分離派”の意味は、アカデミーから”分離”するという意味です。
当時の旧態依然とした様式から決別して、新たな芸術を追求しようとしたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ウィーン分離派の中心人物であるクリムトはオーストリアを代表する画家です。
クリムトを中心に19世紀の終わりのウィーンでは様々な分野の新しい芸術活動が起こりました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回の展覧会ではウィーン分離派展のポスターも展示されています。
非常に凝ったデザインのポスターですが、ここからも分かる通りウィーン分離派は絵画のみならず、デザイン・建築・工芸と様々な分野にも力を入れており”総合芸術”を目指していました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレより28歳年上のクリムト。
二人についてこんなエピソードが残っています。
シーレが17歳くらいの時にクリムトの元に作品を見せに行き、「僕には才能がありますか?」と尋ねたところ、クリムトは「ありすぎる」と答えたのだとか。
ただ、これは後の時代の創作の可能性もあり、山田五郎氏も「ちょっと信ぴょう性が分からない」といいます。
シーレ《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そんなクリムトからの影響が見られる作品がこちらです。
描かれたのが1908年ということで、クリムトと出会って間もない頃のものです。
まずどこがクリムトの影響かというと、画面の形が正方形な点です。
クリムトの代表作《接吻》も正方形ですよね!
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
また作品の背景が金箔・銀箔のような表現も、クリムトに通ずるものがあります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
クリムトは実際に金箔を貼って「黄金様式」というスタイルを築きました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
またクリムトが金箔を多用した背景にあるのが、日本美術(ジャポニスムブーム)の影響です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
一方のシーレはというと、実際に金箔を貼るのではなく、金属的な顔料を使って絵具で箔を再現しているのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレは自らを”銀のクリムト”と言っていたこともあるのだそう。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
クリムトは新しい才能を見出すことに注力し、シーレをはじめとする若い芸術家を支援したいと思っていました。
ですのでこのシーレのように若い画家が自分の表現に反応して、それを作品に取り入れてくれることは光栄に思っていたことでしょう。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレはこの花の作品を描いた翌年の1909年にアカデミーの同志たちと「新芸術集団」を立ち上げ、自らの表現を追求していくのです。
クリムト《シェーンブルン庭園風景》
続いて今回の展覧会で見る事ができるクリムトの作品をみていきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画面の形が正方形という点でクリムトらしさは感じますが、水面に反射する木々や空を描いているところからはモネを連想させる一枚です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
また風景を切り取ったような表現は、日本美術の影響も見られます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレのような若い画家たちは、クリムト自身やその作品を通して印象派やジャポニスムにも触れる機会に恵まれたのです。
今回の記事はここまでになります。