【美術番組まとめ】法隆寺1400年の祈り【パート3】

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2022年1月20日にNHK BSプレミアムにて放送された【法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」】の回をまとめました。

今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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寺を長持ちさせるための工夫

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

いかに法隆寺を長持ちさせるか
木造建築である法隆寺では、そのための先人たちの知恵が随所に見られます。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

美しい柱が並ぶこちらの回廊
再建当初、寺はこの回廊に囲まれた聖域として設計されました。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

古代の人々の工夫が見られるのは天井部分。
虹梁(こうりょう)と呼ばれる細く僅かに曲線を描いた梁を使い、棟から扠首(さす)を伝って、両脇の柱へと力を分散させているのです。

これにより屋根から相当な重量があるにもかかわらず、すっきりと軽やかな印象になるように仕上げられているのです。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

続いては金堂を見てみましょう。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

こちらの観音開きの扉、じつは一枚の板から削り出されているのです。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

格子の部分をよく見ると、付け根の部分が下の木と一体となっているのが分かるでしょう。
これにより隙間からの水の侵入を防ぎ、腐食しづらい造りにしているのです。

法隆寺に伝わる宝物

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

金堂内部の一角、不思議な盛り上がりがあります。
これは『伏蔵(ふくぞう)』と呼ばれ、地下に存在するという蔵を覆っているものです。

太子が遺言で「法隆寺の存亡に関わる一大事が訪れたとき、この伏蔵を開けて危機を乗り越えよ」を遺したと伝わり、中には財宝が納められているのだとか。
これまで一度も開けられたことがない(とされる)ため、未だ謎に包まれている伏蔵。
法隆寺にはこの他に2か所、計3か所の伏蔵が存在します

《海磯鏡》

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

奈良時代になると、聖武天皇の妻である光明皇后が太子を篤く信仰します。
疫病や戦乱が相次ぐ世を憂い、大仏建立や国分寺の建設を聖武天皇に勧めたといわれています。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

その光明皇后が法隆寺に奉納したのが、こちらの二枚一対の鏡。
海磯鏡(かいききょう)》と呼ばれ、表面には古代の人々が理想とした豊かで平和な世界が表されています。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

材質には貴重な白銅が使われており、表面には繊細な紋様が見られます。
四方から中心に向かってそびえる山々。その間には波が表現されています。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

近くで見ると人の姿や、波間に浮かぶオシドリが確認できます。

光明皇后はこの鏡を736(天平8)年、太子の命日である2月22日に奉納しました。

《伝橘夫人念持仏》

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

そんな光明皇后の太子信仰に影響を与えたとされるのが、母・橘三千代(たちばなのみちよ)といわれています。

その橘三千代が奉納したとされるのが、国宝《伝橘夫人念持仏(たちばなふじんねんじぶつ)》です。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

「念持仏」とは、私的な空間に置かれた仏像、いわばプライベート仏像という意味です。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

橘三千代が太子を信仰するようになった背景には、法隆寺からの働きかけがあったのでは?と考えられています。

橘三千代は古代、5人の天皇に仕えた女官として知られ、天皇家と強いつながりがありました。
そこで法隆寺の僧侶たちは「なんとか彼女を太子信仰へ導きたい」と考えたのでは?と推測されます。

結果的に橘三千代を太子信仰へと導き、彼女の深い帰依に続いて宮中の女性たちの間にも太子信仰が広まり、やがて光明皇后に受け継がれていったと考えられます。

西円堂

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

法隆寺の西側に建つ国宝・西円堂(さいえんどう)三千代の発願によるものと伝わっています。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

本尊である薬師如来は「病気を治す」というご利益から、光明皇后が母・三千代のために寄進したと考えられています。

また、こちらのお像は「峯の薬師」と呼ばれ、今なお多くの人の信仰を集めています。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

光背は鎌倉時代につくられたもので、七仏薬師千体仏の姿が表わされています。

画像出展元:テレビ番組「法隆寺1400年の祈り「至宝でたどる太子信仰」」より

聖徳太子が学んだ”法華経”には、「女性であっても誰であっても成仏することができる」と書かれています。
そういった背景もあり、宮中の女性たちの間で太子信仰が広まっていったと考えられています。

今回の記事はここまでになります。
パート4へと続きます。
【美術番組まとめ】法隆寺1400年の祈り【パート4】

コメント

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