【日美】松方コレクション展②【美術番組まとめ】

日曜美術館

2019年7月14日にNHKで放送された「日曜美術館」の【松方コレクション】の回をまとめました。
今回はパート2です。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
前回のパート1はこちらからご覧頂けます☟☟
【日美】松方コレクション展①【美術番組まとめ】

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レオンス・ベネディットとの再会

ブラングィンとの出会いから二年後、松方はパリへと向かいます。
パリで向かった先はロダン美術館でした。

レオンス・ベネディット(1859-1925)

画像出展:美術展ナビより

開館を控えたロダン美術館で出会ったのは、レオンス・ベネディットでした。
当時ベネディットは資金繰りに苦労していました。

そこで松方は日本に美術館を造ろうと考えている事。
そしてそこにはロダン専用の展示室を計画していることも打ち明けます。

松方はそこでの展示の為の鋳造費用として大金を支払い、ベネディットを資金難から救いました。

モネとの出会い

クロード・モネ(1840-1926)

レオンス・ベネディットから紹介を受けた松方は、巨匠クロード・モネの邸宅を訪問します。

モネはお気に入りの絵は人には売らずに、自分の家に飾っていました。
松方モネが好きな年代物のブランデーを手土産に会いに行き、18点の作品を彼から直接購入しました。


《睡蓮》1916年
クロード・モネ
国立西洋美術館(松方コレクション)
こうして手に入れたのが、コレクションを代表する一枚《睡蓮》です。
現在この作品は、国立西洋美術館の常設展に展示されています。
(常設展なので写真撮影もOKです)

相次ぐ災難

しかしそれから2年後の1923年、関東大震災が起こります。
復興の予算を確保するため、政府は美術品のような贅沢品の輸入に100%の関税を設定しました。

その当時、松方はコレクションを海外に保管していました。
(イギリスに約900点、フランスに約400点
しかし、その高い関税の為にそれらを日本に持ち帰ることができませんでした

その4年後の1927年には金融恐慌の影響で、松方が社長を務める川崎造船は経営破綻
負債整理のためにコレクションの売却を余儀なくされます。

コレクションが散逸する事を避けるために、一括で買い上げてくれる買い手を探しますが見つからず、作品はバラバラに買われていきました。


《ポン=タヴァンの風景》1888年
ポール・ゴーギャン
アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館蔵)

こちらはその時に売却されたゴーギャンの作品。
ゴーギャンがタヒチに渡る直前まで住まいとしていた、フランスのブルターニュ地方を描いた風景画です。

この作品を購入したのは、石橋財団の創設者・石橋正二郎(いしばし しょうじろう)でした。

1939年には日本に持ち帰ることができず、ロンドンに保管していたコレクションに悲劇が襲います。
保管していた倉庫で火災が発生し、約900点の作品が灰となってしまいました。

同じ頃今度はフランスで保管していた作品(約400点)にも、魔の手が忍び寄っていました。
ナチスドイツがフランスに侵攻し、美術品の略奪を行っていたのです。

松方は略奪を防ごうと、パリ近郊の村のアボンダンに作品を疎開させます。
その任務を任されたのが、松方の部下である日置釭三郎(ひおき こうざぶろう)でした。

その疎開生活は困難を極めたと言います。
松方日置に「もしもの時は作品を売却しても良い」と伝えていました。
その疎開生活の中で、日置は泣く泣く2枚の作品を手放しています。


《嵐の海》1873年
エドゥアール・マネ
スイス、ベルン美術館蔵
日置が手放さざる得なかった、巨匠マネの作品です。
嵐が訪れる前の海の風景を、暗く不穏な雰囲気で描いています。
この作品は長年行方不明になっていましたが、近年発見された作品です。

コレクションの足跡

ここで、松方コレクション足取りを振り返ります。

コレクション総数:1万点超
(1910年代~20年代にヨーロッパで収集)

  • 日本へ輸送した約1000点
    ~事業破綻により売却、国内外に散逸
  • ロンドンで保管していた約900点
    ~1939年の倉庫の火災で焼失
  • パリで保管されていた約400点
    ~敗戦によりフランス政府が欧州、その後375点返還される

つぎに、パリで保管されていた約400点がその後いかにして返還され、国立西洋美術館が作られていったのかをまとめます。

作品の返還と国立西洋美術館の建設へ

写真:サンフランシスコ講和会議

画像出展元:wikipediaより

戦後フランスに押収されていた松方コレクションは、1951年のサンフランシスコ講和条約をきっかけに、返還に向けて動き出します。

しかし、松方幸次郎はその前年の1950年に84歳でその生涯を終えます
松方はコレクションの帰還を見ることなく、この世を去ってしまったのです。

フランス政府は返還の条件として、2つの事を要求しました。
一つは、専用の美術館を建設する事

もう一つの条件は、コレクションの返却は375点のみで全ては返却せず、
重要な作品はフランスに留めおくということ

一つ目の条件の、「専用の美術館」というのが今日の国立西洋美術館です。
設計はフランス政府の推薦で、フランス人建築家のル・コルビュジエが任命されました。


《アルルの寝室》1889年
フィンセント・ファン・ゴッホ
オルセー美術館蔵

現在、オルセー美術館に所蔵されているゴッホの名画も、返還されなかった松方コレクションのうちの一作です。
このような貴重な作品は日本に返還されず、フランス国内に残されました。

さいごに

数多くの美術品をコレクションした松方幸次郎
その目的は、日本人に西洋の本物の美術を見せて、西洋人の心を理解してもらうためでした。
そのための美術館をデザインし、建設予定地まで決めていたにもかかわらず、
自然災害、恐慌、戦争によってコレクションはバラバラに。

松方の存命中に美術館建設の夢は叶いませんでしたが、彼の死後、今の国立西洋美術館が建設され、
そして今日の我々が作品を鑑賞できる貴重な場となっています。
松方の意志が今もこうして残っていて、その恩恵を受けていることを、西洋美術館に行く度に思い出すだろうなと思いました。

最後までご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント

  1. […] パート1は一旦ここまでです。 パート2へと続きます(^^♪ 【日美】松方コレクション展②【美術番組まとめ】 […]

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