TOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」内の【葛飾北斎コーナー】にて取り上げられた作品をまとめました。
今回の記事では2020年6月の内容についてまとめていきます。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
『富嶽百景 文邉の不二』
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
作品の読み方は「ぶんぶのふじ」です。
「文邉」という聞き慣れない言葉。
「北斎は”文学に関係した”という意味で使っているのだろう」と美術監修の藤ひさし先生は言います。
ここでいう文学は『万葉集』の事を指します。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
描かれている人物は山部赤人(やまべ の あかひと)。
実在した奈良時代の歌人です。
その彼の前に広がっているのは田子の浦(たごのうら)です。
山部赤人が田子の浦の情景について詠った和歌が万葉集に納められています。
じつはこの『文邉の不二』とよく似た構図の作品が富嶽三十六景にあります。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
それは『東海道江尻田子の浦略図』です。
2つを並べて見ると、同じ風景である事がよく分かります。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
山部赤人が田子の浦を詠った和歌は、百人一首にも含まれています。
北斎は『百人一首姥かゑとき(うばがえとき)』というシリーズものも手掛けています。
これは百人一首の和歌を、子どもにも分かるように絵本にしたものです。
当初は100枚で完成する予定でしたが、実際にはその約4分の1の27枚で終わりました。
『富嶽百景 鳥越の不二』
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
東京都台東区の鳥越。
ここには幕府天文方が勤める天文台がありました。
この作品にも描かれている通り、楼上には天球儀が備えられています。
この《鳥越の不二》では、人工物の「丸」と、自然が作り出した富士山の「三角」を重ねるという北斎ならではの構図で表現されています。
北斎は天球儀の存在をかなり早くから知っていたと考えられます。
彼は長崎に赴任していたシーボルトから西洋の情報を得ていた可能性があるのです。
また北斎は江戸時代後期の天文学者である高橋景保(たかはし かげやす)とも交流がありました。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
そんな中、1828年にシーボルト事件が起こります。
これは国外への持ち出しが禁止されていた日本地図を、シーボルトが持ち出そうとして起こったものです。
この事件によりシーボルトは国外追放となり、彼に地図を贈った高橋景保は投獄され獄死します。
高橋景保以外にもこの事件の関係者として二十数人が処刑されています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
この《鳥越の不二》で描かれている後ろ姿の武士は、その高橋景保ではないかと言われており、またこの頃から北斎の絵が変わったとも言われています。
『富嶽百景 青山の不二』
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
タイトルの「青山」は、今の青山通り、青山霊園の辺りだといいます。
この地域はかつて傘作りで有名だったそうです。
ただ作っているのは傘職人ではありません。
御家人(将軍直属の下級武士)が内職として、傘張りをしていたのです。
どうして御家人が傘張りを?
実は江戸時代の各藩では、産業振興の一つとして、家臣たちに傘張りを奨励していた所がいくつもあったのです。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
職人は傘に桐油(とうゆ)を塗って、今まさに最後の仕上げをしている所です。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
開いた傘の円と、閉じた傘の三角で画面が幾何学的に構成されています。
このように画中に、丸や三角を描き込むのを北斎は好みました。
先ほどの《鳥越の不二》もそうでしたね!
そして沢山の傘の奥に、富士が三角の姿を見せている、という作品なのです。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
その富士の見事な姿に、職人も手を止めて思わず見とれている、という一枚なのです。
今回の記事はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。