【ぶら美】最澄と天台宗のすべて③【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2021年11月9日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#390 東京国立博物館「最澄と天台宗のすべて」〜国宝・重文・寺外不出の秘仏も!比叡山延暦寺や全国の天台宗のお宝が集結!〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート3になります。
前回のパート2の記事はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

今回の記事では、最澄の弟子たちがどのように天台宗を発展させていったかについてまとめていきます。

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《両界曼荼羅図》(大阪・四天王寺蔵)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

続いては、天台宗の密教的な側面を表す展示です。
最澄は中国で密教を学んできましたが、期間が短いこともあり十分とはいえませんでした。

そこで最澄の弟子たちが、その不完全であった密教の部分を補完していったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最初に尽力したのが、最澄の弟子である慈覚大師円仁でした。
円仁は天台宗の密教的な部分を盛り上げていった、最初の立役者です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そのゆかりの品が大阪・四天王寺が所蔵する《両界曼荼羅図》です。
右側が胎蔵界曼荼羅、左側が金剛界曼荼羅です。

「曼荼羅」と聞くと、真言宗や空海のイメージが強いかと思いますが、今回展示されているのは
、もちろん「天台宗の曼荼羅」という事になります。

一見するとほとんど同じように見えますが、天台宗ならではの部分があるといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

中国に渡って学んだのは、円仁空海も同じですが、それぞれ日本に持ち帰ったものが微妙に異なったため、その違いが曼荼羅にも表れているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

非常に微細な違いにはなりますが、右下隅に描かれた千手観音。
その前に置かれた供養壇天台宗における曼荼羅図の特徴で、真言密教には見られない部分なのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その他にも一部のご尊像の位置が変わっていたり等、細かい違いがあるといいます。

しかし元々の根本である”密教”という部分は一緒なので、真言宗の曼荼羅も、天台宗の曼荼羅もそこまで大きな違いにはならないのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最澄空海は同じ時期に中国に渡りますが、最澄の方が一足早く帰国しています。
一方の空海は長安まで行き、最澄とは比べものにならないほど本格的に密教を学んでいます

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そこで最澄空海に密教の教えを請おうとしますが、空海はそれを断ります。
結果、最澄空海はその後全く別々の道に進むことになるのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最澄が亡くなって16年後、弟子の円仁が中国に渡ります。
そこから苦労の末、師が果たせなかった長安入りを果たします。

長安の都に入った円仁は、空海が学んだ寺院と同じ寺院へ行き、密教や曼荼羅を天台宗に持ち帰るのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

天台宗にとって本格的な密教や曼荼羅を取り入れることは悲願だったのです。
ある夜、円仁の夢に最澄が現れ、弟子である円仁に対して礼拝をしたと伝わっています。

《相応和尚像》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

相応和尚(そうおうかしょう*天台宗は「和尚」と書いて、「かしょう」と読みます)は、
円仁のお弟子さんに当たる人物で、9世紀を生きた僧侶です。

また、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を始めた人でもあります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

千日回峰行は非常に過酷な修行で、信長の比叡山焼き討ち以降、51人しか成し遂げていません。

千日回峰行とは

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

千日回峰行はトータル7年間、延べ4万km(地球一周分)に及ぶ過酷な巡礼です。
比叡山中や京都市内などを巡拝します。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その後700日目から、「堂入り」が行われます。
堂入りとは、9日間に渡り断食、断水、不眠、不臥(横にならないこと)で不動明王の真言を唱え続けるものです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

堂入りが終わった後もまたひたすら歩き、最後は京都御所に土足で参内し加持祈禱を行います。

土足で上がってもいいぐらい、
それぐらい徳を積んだ存在になるのだそうです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その千日回峰行を始めた相応和尚を象徴するように、台座の前にはわらじが描かれています

『不動明王坐像』(滋賀・伊崎寺蔵)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そんな相応和尚がひたすら唱えたのが不動明王です。
修業中に見た不動明王のお姿に感得して彫ったといわれているのがこちらのお像です。

こちらも秘仏であり、なかなか見る事のできない貴重なお像になります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらのお像は滋賀県の伊崎寺が所蔵しており、重要文化財に指定されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

基本的には不動明王としては同じ姿ですが、相応和尚が自ら見たとされる不動明王なので独自の特徴が見られます

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それは「歯の出方」です。
下の歯が上に向かって突き出ているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

真言宗の不動明王では、上の画像のように歯の部分が上下互い違いになっている作例もあります。

今回の記事はここまでになります
パート4へ続きます。
【ぶら美】最澄と天台宗のすべて④【美術番組まとめ】

コメント

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