【ぶら美】最澄と天台宗のすべて④【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2021年11月9日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#390 東京国立博物館「最澄と天台宗のすべて」〜国宝・重文・寺外不出の秘仏も!比叡山延暦寺や全国の天台宗のお宝が集結!〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート4になります。
前回の記事、パート3はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

ここでは、展覧会第4章の『信仰の高まり―天台美術の精華』と第6章の『現代へのつながり―江戸時代の天台宗』についてまとめていきます。

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国宝《六道絵》

極楽往生を願う天台浄土教を中心に、当時貴族との結びつきが非常に強かった天台宗は、その財力を背景に様々なきらびやかな美術を生み出していきます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

「六道」というのは仏教における死後の6つの世界のことです。
人は死を迎えると、生前の行いに応じて、六道のどこかに生まれ変わると考えられていました。その六道というのが…

  • 地獄
  • 餓鬼
  • 畜生
  • 阿修羅
  • 人道(にんどう)
  • 天道(てんどう)

の6つです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

滋賀県の聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)が所蔵しているこちらの《六道絵》は鎌倉時代に描かれたもので、全15幅で六道のありさまを描いています。
六道全てが残っている貴重な作品で、国宝に指定されてます。

前期展示では
人道不浄相幅
人道苦相Ⅰ幅
人道苦相Ⅱ幅
の3幅が展示されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

後期展示では、『等活地獄』など4幅が展示される予定になっています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

前期展示となる『人道』は、山田五郎さん曰く「比較的地味」との事ですが、じわじわとここから落ちていく様が描かれます。

「生きていること」そのものが苦しみであり、それをどのように軽減するか、というのが釈迦の哲学であり仏教だったわけですが、その苦しみが1つずつ描かれている『六道絵』は、見る人はにわじわとその苦しみを感じさせるようになっているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの『人道苦相Ⅰ幅』では、女性が今まさに子供を産もうとしている、”出産の苦しみ”が描かれています。

周囲には祈祷する人々が集まっています。
左側に弓を持っている人がいますが、この人は弓を弾く音によって悪いものを退散させようとしているといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらでは病気で苦しいさまが表されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは葬式の場面です。
このように生きている人間が生まれてから死ぬまでにたどる苦しみが、下から順番に描かれているのです。

どの場面も非常に緻密に描かれているのが特徴で、画力の高さが伺えます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

後期展示では15幅のうちの『等活地獄』が展示されます。
『等活地獄』は生き物を殺した人が落ちる地獄といわれていて、様々な責め苦にあっている様が描かれています。

まさに私たちが思い描く”地獄”ですね。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

日本人の地獄のイメージを確立したといわれているのが、比叡山の僧侶・恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その源信が記した『往生要集(おうじょうようしゅう)』が、「日本人の地獄観」を確立したと言われています。
往生要集』は極楽往生するための指南書のようなものですが、そこに非常に生々しい地獄の様子が描かれており、それを読んだ貴族たちの間で浄土教の信仰が高まっていったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その地獄観を基に様々な美術が後世に作られるので、日本文化の至る所に天台宗の影響があるといえるのです。

『慈眼大師(天海)坐像』

ここからは江戸時代の天台宗についてまとめていきます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

江戸時代の天台宗といえば、欠かせないのがこちらの慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)です。
重要文化財に指定されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

天海は徳川三代、家康から家光までに仕え、彼らから絶大な信頼を得た僧侶で、また江戸の都市計画も手掛けたともいわれている人物です。

108歳まで生きたと言われる天海
こちらのお像は亡くなる3年前、105歳の姿をあらわした肖像彫刻です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

とても105歳のお姿には見えませんね!

肖像彫刻は頻繁に理想化がされるので、本当にこういったお顔だったかはなんとも言えませんが、天海であればあり得るんじゃないかと思わせてしまう迫真性に溢れています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

作者は運慶の末裔の康音(こうおん)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

全体に彩色が施されており、織物の文様は少し盛り上げて表される「盛上彩色」がなされています。
非常にリアルな質感表現です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

落ちくぼんだ目やシワの感じは、まるで目の前にいるかのようなリアルさが溢れ、108歳まで生きた強靭な精神力も表されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ちなみに天海は長生きの秘訣を三代将軍・家光に聞かれた際に、「粗食」「正直でいること」「日々の入浴」「陀羅尼(密教の呪文)」で、且つ時々”おならをすること”と答えたのだとか。

延暦寺根本中堂の再現

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは今回の展覧会の目玉の一つ、比叡山延暦寺根本中堂の再現展示です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

実際に比叡山延暦寺の根本中堂に安置されている、四体のお像にお出まし頂いています。

そしてお像の前に3つ並んでいる灯籠ですが、こちらは先代の”不滅の法灯”になります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

不滅の法灯とは、延暦寺の根本中堂内陣のお厨子の前にある法灯で、最澄が788年に火を灯して以来、今日まで1200年以上に渡り僧侶が油を継ぎ足してきたので、消えた事がないといわれる法灯です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ここで気になるのが、戦国時代に信長に焼き討ちされた時はどうなったのか?ということです。
その時は山形県にある立石寺(通称 山寺)から分灯され、それで辛うじてつながれました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

現地ではお厨子の中に最澄自らが刻んだとされる本尊が安置されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

法灯の中の火が消えないように、僧侶が毎日、油を注いで今日まで守り伝えてきましたが、その”油を継ぎ足す担当”のようなものは特に決まってないといいます。

僧侶それぞれ全員が気にかけて、油を絶やすことのないようにしてきたのです。
(ちなみにこれが「油断」という言葉の語源になったといわれています)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

展覧会場では消防法上、火気厳禁との事でLEDライトで不滅の法灯を表しています。

今回の記事はここまでになります
パート5に続きます。
【ぶら美】最澄と天台宗のすべて⑤【美術番組まとめ】

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでになります。 パート4へ続きます。 【ぶら美】最澄と天台宗のすべて④【美術番組まとめ】 […]

  2. […] 今回の記事はパート5になります。 前回のパート4の記事はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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