【ぶら美】最澄と天台宗のすべて⑤【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2021年11月9日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#390 東京国立博物館「最澄と天台宗のすべて」〜国宝・重文・寺外不出の秘仏も!比叡山延暦寺や全国の天台宗のお宝が集結!〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート5になります。
前回のパート4の記事はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

ここでは、展覧会第3章の『全国への広まり―各地に伝わる天台の至宝』についてまとめていきます。

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『薬師如来坐像』(岐阜・願興寺蔵)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは岐阜県の願興寺(通称:蟹薬師)につたわる『薬師如来坐像』です。
願興寺のご本尊であり、今回の展覧会が寺外初公開となる貴重なお像です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最澄は50代の頃、東国(今の関東地方)に布教の旅に出ます。
その際、東山道(近江から陸奥に通じる街道)を辿って布教を行いました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その東山道の途中にあるのが、願興寺でした。
元々古い古代寺院があったところに、最澄が自ら刻んだ薬師如来を安置し、それが願興寺の由来となったといわれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらのお像はその時に最澄自ら彫ったものではなく、後の時代の作になります。

最澄が生きた9世紀の仏像といえば、一木造りで作られるのが一般的ですが、こちらのお像はその後に流行する寄木造りで作られています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そういった構造的な要素などを総合して考えると、12世紀初めの頃の作と推測されます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最澄が巡った東山道沿いには、最澄が創建したとされる寺院が点々とあるといいます。
今回の展覧会は最澄の1200年遠忌ということで、東山道沿いの寺院に仏像の貸し出しの交渉を行ったといいます。

『薬師如来及び両脇侍立像』(東京・寛永寺蔵)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは東京国立博物館からほど近い上野の寛永寺のご本尊であり秘仏の『薬師三尊像』になります。

寛永寺の創建は江戸時代になりますが、こちらの『薬師三尊像』は最澄にゆかりの深い寺院から持ち込まれました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

中央の薬師如来は滋賀県の石津寺(せきしんじ)というお寺からいらしたお像で、延暦寺根本中堂に伝わる最澄自刻の秘仏本尊と同じ木から彫られた、という伝承があります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

両脇侍の日光菩薩・月光菩薩は山形県の立石寺から寛永寺の創建時に持ち込まれました。

立石寺はパート4でご紹介した比叡山延暦寺の
不滅の法灯をつないだお寺ですね。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

中央の薬師如来と両脇侍は微妙に時代が異なります
薬師如来は一木造りで、平安時代に前期の特徴が見られることから最澄が生きた時代と近いお像といわれ、お姿も根本中堂の本尊に近いといわれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

パート2の記事でご紹介した京都・法界寺蔵の『薬師如来立像』とも似ています。

金箔などの装飾はない、白木の素朴なお像ではありますが、そこが最澄が作ったとされる信憑性をより高めていると言います。

『慈恵大師(良源)坐像』(東京・深大寺像)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちら非常に大きなお像で、座った状態で2メートル近くある事から、”日本最大の肖像彫刻”といわれています。

良源(912-985)という名の平安時代の天台宗の高僧のお像です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

所蔵しているのは東京・調布市にある深大寺(じんだいじ)で、こちらの秘仏になります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

慈恵大師、もしくはお正月3日に亡くなったので元三大師と呼ばれる良源を表したこちらのお像は、50年に一度だけ開扉(公開)され、寺外公開されるのが近代的な展覧会が行われるようになってから初めてからだといいます。

山田五郎さん曰く「今見とかないと死ぬまで見られないお像」とのこと。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

良源は“比叡山延暦寺中興の祖”と呼ばれた、平安時代の10世紀の僧侶です。
その頃に根本中堂で火災が発生してしまいますが、それをわずか一代で復興してしまうという、政治力にもた長けたお坊さんでした。

また「厄除け大師」など独特の信仰を集めたほかに、「不動明王の化身」や「観音様の化身」としても信仰を集めました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

鎌倉時代に入ると、良源のお像が数多く作られるようになります。
こちらの深大寺のお像はインパクトを出すために、こんなにも大きく作られたと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

大きさからも分かるとおり、かなりの重量があるということで、運搬の際には10人がかりで運んだそう。

今回の記事はここまでになります

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでになります。 パート5に続きます。 【ぶら美】最澄と天台宗のすべて⑤【美術番組まとめ】 […]

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