2020年7月14日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#352 ぶらぶらプロデュース!夢の特別展④~世界の美術館を旅しよう!山田五郎「もう絶対、日本に来ない名画」展~】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☜からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
レオナルドとボッティチェリ
前回の記事ではルネサンス三大巨匠より一つ前の世代で活躍したボッティチェリについてまとめました。
ボッティチェリが当時、画壇の第一人者として君臨していました。
ですので、このボッティチェリがいるおかげで出てこれなかったという芸術家がいるのです。
それがレオナルド・ダ・ヴィンチです。
レオナルドがいざ独立しようという時に、彼の前にはボッティチェリがいたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
あまり人の悪口を言わないレオナルドもそのボッティチェリの悪口は言ってしまうほどです。
《東方三博士の礼拝》1475年頃
ボッティチェリ
ウフィツィ美術館蔵
フィレンツェは東方三博士(イエスが誕生した際に東の国から礼拝に訪れた三人の賢者)が守護聖人のようになっており、この作品のような”東方三博士”をモチーフにした作品が数多く描かれました。
レオナルドはボッティチェリが描いたこの《東方三博士の礼拝》も「時代遅れだ」と批判します。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
「自分なら〈東方三博士〉はこう描く!」として、上の図のような非常に斬新な下絵を描きます。
しかしここがダ・ヴィンチの残念な所で、下絵を描いただけで終わってしまいます。
才能があるにも関わらず最後まで完成をさせない人だったのです。
その理由は一つに「時間がかかる」というのがあります。
山田五郎さん曰く、「完璧主義者にもかかわらず、飽きっぽい」性格だったそう。
またそれだけでなく、顧客からの注文に答えないという部分もあったようです。
《モナ・リザ》レオナルド・ダ・ヴィンチ
《モナ・リザ》1503-06年
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ルーヴル美術館蔵
そしてあの有名な《モナ・リザ》でさえも、「完成作ではない」と言われています。
そもそもなぜ、この《モナ・リザ》がレオナルド作品のなかでも最も有名で、名画と言われているのでしょうか?
山田五郎さんは曰く、「《モナ・リザ》はレオナルド・ダ・ヴィンチにしか描けない絵だから」との事。
この作品は元々、リザ・デル・ジョコンドというイタリアの商人の妻の肖像として、フィレンツェで注文を受けて描いたのが始まりでした。
しかし《モナ・リザ》は現在フランスのルーヴル美術館に所蔵されています。
イタリアで注文を受け描いた絵が、どうしてフランスの美術館にあるのか。
それは肖像画として完成せず、注文主に納品されなかったからなのです。
それだけでなくレオナルドはこの絵をどこに行くにも持ち運び、加筆し続けたといいます。
更に晩年にはフランス国王のフランソワ1世に呼ばれ、フランスへ行きます。
もちろんそこにも《モナ・リザ》を持っていくわけですが、その後レオナルドはフランスで亡くなってしまいます。
こうして《モナ・リザ》はそのままフランスに残されたという事になるのです。
元々は肖像画として描かれ始めた作品ですが、何年もかけて描いているうちに肖像画ではなくなったのがこの作品なのです。
つまりここに描かれているのは、レオナルドの思う”普遍的な人物像”なのです。
謎の微笑
《モナ・リザ》はよく「謎の微笑をたたえている」と言われます。
そう呼ばれる理由の一つは、スフマートと呼ばれるグラデーションのような技法を使っているからです。
スフマートは輪郭をぼかして描き、厚みや陰影を出す技法です。
《モナ・リザ》はこの技法があり得ないくらいすごいのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
どんなにアップにしてもグラデーションの境界線がないのです。
これにはかなり薄く溶いた絵具を何層も何層も塗り重ねていく必要があります。
現代は科学調査が進んでおり、ここの絵具の厚さがなんと2ミクロン(1000分の2ミリ)で、それが多い所だと15層程塗り重ねられているといいます。
この絵具の薄さ故に、X線(レントゲン)調査をしても何も映らないといいます。
ですので、レオナルド作品の本物か偽物かを調べる際には、X線調査をして、何も映らなかったら”本物”という事になるのです。
ですので、この《モナ・リザ》のスフマートを見るだけでも、レオナルドの凝り性の性格が分かります。
当然、注文主への納期にも間に合うわけがないのです。
けれども逆に言うと、”納期を守らなかったこそ描けた作品”でもあるのです。
顧客からの注文があっても”自分の描きたいように描く”というレオナルドのスタイルは、「史上初のアーティスト」だと山田五郎さんは言います。
実は1回来日している⁉
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
実は《モナ・リザ》は1974(昭和49)年に一度来日しているのです。
田中角栄元首相がフランスに直談判して、来日が実現したのです。
(ちなみに中国とも直談判し、パンダの来日が実現しています)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
当時の上野はそれはそれは大変な混雑になっていたそうです。
しかしもう今は日本はおろか、世界中どこの美術館にも《モナ・リザ》貸し出しはされないだろうと山田五郎さんは言います。
今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次のパート3では、ミケランジェロとラファエロについてまとめていきます。
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コメント
[…] 今回の記事はここまでになります。 続くパート2ではレオナルド・ダ・ヴィンチについてまとめていきます。 こちら☜からご覧いただけます。 […]
[…] 2020年7月14日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#352 ぶらぶらプロデュース!夢の特別展④~世界の美術館を旅しよう!山田五郎「もう絶対、日本に来ない名画」展~】の回をまとめました。 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☜からご覧いただけます。 […]