【ぶら美】SOMPO美術館・開館記念展②【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2020年8月4日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#354 新オープン!SOMPO美術館「開館記念展」〜ゴッホ「ひまわり」と再会!東郷青児ゆかりの美術館 ベスト・コレクション〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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SOMPO美術館と東郷青児の関係

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ここからはSOMPO美術館と所縁の深い、画家・東郷青児の作品をまとめていきます。
東郷青児と損保ジャパンの関係の始まりは1930年代初めに遡ります。
そのきっかけは顧客に配布するためのカレンダーに東郷青児の作品が起用されたことでした。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回の開館記念展では、その当時のカレンダーやパンフレットも展示されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そのような縁もあり、美術館開設の構想が持ち上がった際には自身の作品等およそ350点を東郷は寄託しました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そして1976年に「東郷青児美術館」の名称で開館しました。
今年2020年に「SOMPO美術館」に改称するまで通算4回の名称変更を行っています。

1976-1987「東郷青児美術館」

1987-2002「安田火災東郷青児美術館」

2002-2014「損保ジャパン東郷青児美術館」

2014-2020「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」

2020~「SOMPO美術館」

SOMPO美術館以前の名称には全て「東郷青児」の名前が入っていましたが、今回の名称からはなくなっています。
これに関しては様々な意見があったようですが、現在でも美術館のロゴ(人が三日月を見上げる姿)には東郷青児作品がモチーフとして使われています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらのロゴのモチーフになった作品についても後ほどまとめていきます。

《パラソルさせる女》東郷青児


《パラソルさせる女》1916年
東郷青児
SOMPO美術館(寄託:一般財団法人 陽山美術館)

東郷青児が19歳の頃に描いた、貴重な若い時代の作品になります。
キュビスムイタリア未来派といった前衛絵画の要素を感じられる作品です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

未来派の創始者と言われるのがイタリアの詩人のマリネッティです。
彼は1909年に『未来派宣言』をパリの新聞に発表します。
それまでの政治や文化を否定し、スピードや運動を重視しました。


この《パラソルさせる女》では文字通り中央に女性の姿が、そして手にはパラソルが持たされており、全体が抽象的に描かれています。

この作品は1916年(大正5)年の第3回二科展に出品され、さらに最高賞である二科賞を受賞しています。

東郷青児は絵を専門的に勉強したわけではありませんでした
青山学院中学部を卒業し、画家の竹久夢二の所に出入りをして独学で絵を学びながら、新聞や文芸雑誌に短編小説や駒絵(新聞や雑誌の簡単な挿絵)を投稿していました。

ちなみに東郷の本名は「鉄春」といい、「青児」の名は出身校である「山学院大学」から取ったものだと言われています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ヨーロッパの前衛美術に関しては作曲家の山田耕筰から影響を受けました。
東郷青児はヨーロッパ留学から帰国した山田耕筰から、彼が持ち帰ったキュビスム表現主義の版画作品を通じて、当時の最新の美術を学びます。

1921年、24歳の時には東郷青児はフランスに留学、そこで未来派の主唱者であるマリネッティとも会っています。
しかし政治色の強かった未来派からは次第に距離を置くようになり、その後はあの巨匠ピカソフランシス・ピカビアらと交流するようになります。

留学期間は約7年間に及び、フランス語もマスターした東郷はフランス文学の翻訳も手掛けています。
そして帰国して間もなく発表された作品が次の作品です。

《超現実派の散歩》東郷青児


《超現実派の散歩》1929年
東郷青児
SOMPO美術館蔵

先ほどご紹介したSOMPO美術館のロゴマークにも採用されている作品です。

留学を終えた東郷が帰国後まもなく発表した作品です。
超現実派』とタイトルにもある通り、留学中に学んだシュルレアリスムを取り入れた作品になっています。
日本におけるシュルレアリスム的な作品として発表されたものの中でも、極めて初期の作品といえます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

描かれている人物の髪の長い点から「少女」だと言われています。

少女だとはびっくり!なにか性別を超越した存在のように思ってました…

この作品は1929年の二科展に出品されますが、すぐに公開禁止になってしまいます
じつは当初は人物にアンダーヘアが描かれていたのです。
それにより「風紀を乱す」との理由で公開禁止になったのです。

その後アンダーヘアの部分は修正され、公開されました。

この作品が発表された1929年は、じつは東郷自身、女性関係でスキャンダルや事件を起こしているのです。
艶福家(えんぷくか)とも呼ばれた東郷は一体どのような事件を起こしたのか。
続きのパート3で詳しくまとめていきます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでです。 続くパート2では美術館とゆかりの深い画家・東郷青児と彼の作品をまとめていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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