【ぶらぶら美術・博物館】奇想の系譜展①【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2019年3月19日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#302 今年の注目度No.1!「奇想の系譜展」~若冲・蕭白・国芳…江戸の個性派・奇想天外な名画大集合!~】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』

今回は2019年に東京都美術館で開催された『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』についてまとめていきます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

人気絵師8人の作品が見られるというだけでも豪華ですが、さらにそんな彼らの代表作が一同に会したこの展覧会。
2019年の日本美術の展覧会の中でも、No.1といっても差し支えない」と山田五郎さんは言います。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そもそも「奇想の系譜」というのは美術史学者の辻 惟雄(つじ のぶお)先生が1970年に発表した本のタイトルでした。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この展覧会に合わせて2019年にはオールカラー版も発売されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この「奇想の系譜」では、以下の6人の絵師が紹介されています。

  • 岩佐又兵衛
  • 狩野山雪
  • 伊藤若冲
  • 蘇我蕭白
  • 長沢芦雪
  • 歌川国芳

今となっては、ここに名前を挙げた絵師は単独で展覧会を開いても大盛況ですが、実は「奇想の系譜」で取り上げるまでは、ほとんど世に知られていなかったのです。

そんなバカな!!

今でこそ、”伊藤若冲”といえば、展覧会をやれば大変な人気(2016年の展覧会では200分待ちを記録したとか!)ですが、しかし「奇想の系譜」が出た頃は全くと言っていいほど知られておらず、教科書に名前すら出てこない存在だったといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

つまりこの「奇想の系譜」が、江戸時代の絵画史、ひいては日本の美術史の評価を書き換えたといっても過言ではないのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

”奇想”と聞くと、何か奇妙な、変な絵をイメージする方もいるかもしれませんが、元々中国で「奇」は”非常に優れた”という意味で使われていました。

今回の展覧会で取り上げる絵師たちは皆、斬新な発想で素晴らしい作品を残したのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回の展覧会では、元々「奇想の系譜」で紹介された6人の絵師に加えて、達磨の絵でお馴染みの白隠慧鶴(はくいんえかく)と、

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

江戸琳派の奇才、鈴木其一
この2人を加えた、計8人の絵師を”奇想の絵師”として紹介しています。

伊藤若冲

《象と鯨図屏風》


《象と鯨図屏風》1797年
伊藤若冲
滋賀・MIHO MUSEUM蔵

展示のトップバッターを飾るのは、伊藤若冲の作品です。

陸の王者であるゾウと、海の王者であるクジラが描かれているこちらの作品。
まるで互いにエールを交わし合っているような、そんな風にも見えます。
白と黒の対比も印象的です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

イギリスの動物学者であるライアル・ワトソン氏は、「鯨と象はコミュニケーションを取ることができる」と自身の著書で書いています。
山田五郎さんによると、南アフリカに実際にそういった場所もあるそうです。

今でこそ大人気の若冲ですが、ブームになったの比較的最近だといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

2000年に京都国立博物館で開催された「没後200年 若冲」展若冲人気のきっかけだといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その16年後に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲」展は約45万人の来場者数を記録、そこから若冲フィーバーが今日まで続いているのです。
若冲を含め、奇想の画家たちは21世紀に入ってから有名になっていったのです。


そうやって若冲の知名度がアップしてくると、新しい作品が発見されます。
この《象と鯨図屏風》も、「奇想の系譜」が書かれた1970年当時はまだ知られていませんでした

「家にこういう絵(象と鯨図屏風)があるんですけれども、若冲の絵ではないですか?」と、辻 惟雄先生の元に直接連絡が入り、この作品は発見されました。

《鶏図押絵貼屏風》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの作品も《象と鯨図屏風》と同じ頃、若冲80代の時の作品です。
今回の展覧会の準備の過程で見つかった、新発見の作品になります。

伊藤若冲は、元々京都の青物問屋の家に生まれ、何不自由のない暮らしをしていました。
しかし1788年に起きた”天明の大火”により、家も焼けてしまい、大打撃を受けます。
そして疎開する事となるのです。

若冲は疎開先でも作品を描きました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

若冲が注目され始めたのは21世紀に入ってからと書きましたが、生前も有名で人気のある絵師でした。
あの円山応挙の次くらいに有名だった、と山下先生は言います。

それが明治以降、段々と忘れられていきます。
やがて戦後になり、日本美術の常識として「江戸以前の絵画が偉い!」という風になり、江戸時代の美術は蔑ろにされていきます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

日本美術は、平安・室町・桃山が偉いとされ、江戸時代の絵画は一段低いものとされていたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

天明の大火の影響により、金銭的にも苦しかった若冲は、作品を量産していきました。
この作品が水墨なのも「水墨の方がより作品数をこなせる」という考えがあったものと考えられます。

筆のさばきは非常に速く、ササっと描かれています。山下先生は「(若冲は)なにも見なくても、これくらいならすらすら描けただろう」と言います。

若い時は鶏を自分の家の庭に放し、じっくりと観察して描いていましたが、その情報が頭に叩き込まれていたため、晩年は何も見ずとも描く事ができたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

象と鯨図屏風》もこの《鶏図押絵貼屏風》も共に82歳の頃の作品です。

82歳でこの画力、すごいですね!

今回の記事はここまでになります。

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