2021年4月25日にNHKで放送された「日曜美術館」の【美人画の神髄〜歌麿の技の錦絵〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
”透かし見る”趣向の再現
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
番組では、浮世絵の復刻を手掛けている「アダチ版画研究所」が、歌麿の”透かし見る”趣向を再現しました。
今回再現するのは、パート3の記事でもご紹介した『婦人泊り客之図』の一番左の一枚です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
まず最初に全体の輪郭線、そして髪を墨で摺るところから始まります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
続いて色ごとに摺りを重ねていきます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
いよいよ「透かし見る」蚊帳の部分です。
草の色で摺りますが、この時はまだ女性の顔や体に色はありません。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
続いて蚊帳の網目の部分の横の線。ここでは少し暗い草の色が使われます。
この横線は蚊帳の中の女性にもかかっています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そして網目の縦の線です。
白い顔に蚊帳の網目が入りました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
最後に、蚊帳の外に立つ女性の髪の毛を仕上げて完成です。
蚊帳の中の女性は、引きで見るとかすかに緑っぽく見えます。
それとは対照的に外にいる女性はクリアな印象になります。
歌麿の”透かし見る”趣向は、摺師の細やかな技術あっての表現なのです。
錦織歌磨形新模様 白うちかけ
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
歌麿は大胆な趣向にも挑戦しています。
こちらの作品では、浮世絵にとって「命」ともいえる輪郭線をほとんどなくしています。
描かれている女性は花魁です。
自分の綺麗な着物を見せようと、身を反らして後ろ向いています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
顔には輪郭線がありますが、着物には輪郭線がありません。
輪郭線がなくなる事でどこか不思議な印象になります。
娘日時計 午ノ刻
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは湯上りの二人の女性。
座っている手前の女性の肩の部分にご注目。白い腕が薄い浴衣から透けて見えるのが分かります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
輪郭線がない事で、より透明感が表現されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この作品では女性の顔の部分にも輪郭線はありません。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
立っている女性の方も顔も同じです。
そのせいか、頬がふっくらとしている印象を与えます。
現代でも美人画を描く際は、多くの作家ができるだけ輪郭線を細く薄く描きます。
それでも歌麿のように、輪郭線そのものをなくしてしまうというのは、非常に大胆な方法です。そこには肌の白さや柔らかさを最大限に表現しようとした意図があるのかもしれません。
このような試みは、一方で反発を生む可能性があったことも考えられます。
しかし歌麿はそんな声よりも、よりリアルに、美しいものを表現したいという欲求に従ったのです。
錦織歌磨形新模様 文読み
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
どこか放心しているような表情の女性。
膝の上に手紙がありますが、何か気になる事でも書いてあったのでしょうか?
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
女性の着物の衣紋線は描かれず、陰影を施すように表現されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
画面左上に書かれている文章。ここには歌麿が美人画の浮世絵師として、いかに自分の腕に自信があったかが書かれています。
文章からは美人画の第一人者としてのプライドが感じられます。
歌麿はその”第一人者”をキープするために、死ぬまで努力し、新しい作品、魅力的な作品を作ることに心血を注いだのです。
美人大首絵の禁止令と晩年の歌麿
歌麿が美人大首絵を世に出してから7年ほど経った寛政12年。
それまで幕府の様々な制約をかいくぐってきた歌麿ですが、ここにきて”美人大首絵”そのものが禁止されてしまいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかし歌麿はそれでも美人大首絵を描き続けます。
こちらの作品では女性が提灯の光をのぞき込んでいます。
まるで女性の顔が浮かび上がるように表現され、陰の部分とのコントラストも見事です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
タイトルに横には、このような文章が書かれています。
この女性が品行方正の者であるとして、幕府を刺激するのを避ける狙いがあったものと思われます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1804(文化元)年、歌麿は奉行所に呼び出され、取り調べを受けます。
その理由は美人大首絵ではなく、「絵本太閤記」の武者絵でした。
歌麿に下された判決は、”手鎖50日の刑”。
これは両手に手錠をかけられ、50日間謹慎させられるものです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
歌麿の最晩年に出された『青楼絵本年中行事』。
吉原の遊女の様々な姿を描いたこの本の最後のページ。そこに歌麿とおぼしき人物が登場します。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
遊女たちが熱心に見つめる中、絵師は画面いっぱいに鳳凰の図を描いています。
歌麿は手鎖50日の刑を受けた2年後の1806年に亡くなりました。
今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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