【美術番組まとめ】聖徳太子と法隆寺③【ぶらぶら美術・博物館】

ぶらぶら美術・博物館

2021年8月17日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#383 東京国立博物館 特別展「聖徳太子と法隆寺」〜これを逃したら次は100年後?!滅多に見られない寺宝から読み解く、太子伝説の真実〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

スポンサーリンク

国宝《四天王立像 広目天》《四天王立像 多聞天》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

法隆寺金堂内には、四体の『四天王像』が安置されていますが、この展覧会では『広目天(こうもくてん)』と『多聞天(たもんてん)』が展示されています。

現存最古の四天王像といわれており、国宝に指定されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

四天王・邪鬼・台座と、それぞれ一木造りになっています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの『広目天』と『多聞天』はそれぞれ奥側に安置されており、なかなかしっかりと見る事ができないのです。

そんな御像を今回は間近で、それも360度見る事ができるのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの四天王像は、一般的な四天王像とは大きく違う点があります。
それは”怖い顔をしていない”という点です。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

こちらは京都にある東寺の四天王《持国天立像》ですが、通常はこちらの御像のように邪鬼を踏みつけ、迫力に満ちた表情をしています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

しかし法隆寺の四天王像は非常に静かな佇まいをしており、また足元の邪鬼も暴れる様子ではなく、すでに改心をした表情で、踏みつけられるというよりも恭しく背中にお乗せしている姿になっています。

邪鬼は非常に独特な姿、仏教彫刻ではあまり見られない姿をしています。
これはポリネシアン入っていますよね」(山田五郎氏)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

広目天は手に筆と巻物を持っています。

四天王というのは元々は帝釈天の部下という事で、毎月地上に降りて来ては、私たち地上に暮らす者の善悪を観察して、それを帝釈天に報告しているのです。
手にした筆と巻物はそれ書き取るためです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

一方、多聞天は手に多宝塔(たほうとう)を携えています。
これは密教が日本に入ってくる以前の多宝塔の形をしています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

造像当時の彩色がよく残っているのもこの御像の特徴です。

金堂内部は本来、全く人が入る空間ではありませんでした。
そうした事もあって、このように造像当初の色が保たれたのだと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

衣のひだの折り重なり方も非常に優美でエレガントな印象を受けます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

広目天像』は非常に有名な仏師が彫ったという事で、光背の裏面にその名が残されています。
山口大口費(やまぐちおおぐちのあたい)という仏師で、孝徳天皇の勅命で千仏を彫ったと伝えられる人物です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

多聞天像の光背の上部には、何やら丸いマークのようなものが見えます。
こちらは日本最古の截金の一つといわれており、現在法隆寺の寺紋となっているものです。

国宝《薬師如来坐像》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回の展覧会の中でも「最も重要な御像」といわれるのが、こちらの《薬師如来坐像》です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

金堂は「西の間」「中の間」「東の間」と3つの間に分かれています
「中の間」にいらっしゃるのが、かの有名な《釈迦三尊像》です。

薬師如来坐像》は東の間の御本尊です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

釈迦三尊像》は渡来人の末裔である止利仏師(とりぶっし)の作といわれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの《薬師如来坐像》も止利仏師の様式を踏襲したものになっており、厳格な左右対称がその特徴です。

この時代の最高傑作のお一人と言っていいとおもいます」(三田覚之氏)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

手元足元をよく見ますと、爪が長いのが分かります。
これは古代中国で高貴な人の特徴とされたもので、高貴な人は日常の雑事等は行わないが故に爪を切る必要がなかったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

光背も見事な出来栄えです。こちらも造像当時のものと考えられています。

この光背の裏側に銘文が刻まれており、法隆寺創建の由来が刻まれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その銘文によると、聖徳太子の父である用明天皇は即位して間もなく病気になってしまいます。
その病気を治すためにお寺と薬師如来像を造ることを希望します。

しかしその願いは叶うことなく、用明天皇は崩御してしまいます。
その後用明天皇の妹である推古天皇と息子の聖徳太子が寺と御像を造立した、このような事が書かれています。

法隆寺の由来が書かれているという事で、こちらの御像は根本本尊として現在も崇められているのです。

国宝《伝橘夫人念持仏厨子》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

飛鳥時代の終わり頃を白鳳時代と呼びます。
こちらの御像は”白鳳彫刻の最高傑作”の呼び声が高い作品です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

普段はこのように厨子の中に収められた状態になっています。
(作品の読み方は「でんたちばなぶにんねんじぶつずし」です)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

展覧会では細かい所まで見られるようにと厨子から出された状態で展示されています。
解説の三田覚之氏は「この状態で見られることはおそらくもうない」と言います。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

注目すべきは台座の部分です。ここは蓮の池が表されています。

非常に凝ったデザインになっているのが分かります。
パターン化された図像の上に、後方から風が吹いてきてさざ波がたっている様子が表現されています。

阿弥陀浄土には蓮の花が咲いた池があり、そこから大きな蓮の花が咲き、阿弥陀様が説法する。
その様子が表されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

細かい所までしっかりと作り込まれており、蓮台を支える茎も凝ったデザインになっています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

仏様の後方に見える屏風のようなものは「背障(ハイショウ)」と呼ばれるもので、そこのレリーフも見事な出来栄えです。

阿弥陀浄土では、魂の清い人は蓮の池の花の中から生まれて、説法を近くで聞く事ができるといいます。
ここではその様子が表されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

光背(こうはい)の透かし彫りも超絶技巧のような出来栄えです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

直接的には見る事のできない、背障と光背を繋ぐ部分も装飾的に作られているのが驚きです。
「現代だったらきっとビス止めして終わりですよね」(三田覚之氏)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この装飾部分は蓮の茎を表しており、その先端をよく見ると蕾(つぼみ)があるのが分かります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

まさに当時の最高の技術と、最高の芸術的センスが結集した、圧倒的最高傑作です。

また仏像の造形も見事ですが、かなり高い鋳造技術でつくられているのも特徴です。
国内でつくられた古代の金銅仏は厚みがおよそ2センチほどあるのが多いですが、この像は数ミリの厚さの部分があり、非常に優れた技術をもって作られたのが分かります。

これなんか、もうちょっとしたオーパーツだよ。よくこの時代にこれが出来たな」(山田五郎氏)

また解説の三田覚之氏も「これ以降の日本の美術の歴史ってなんだったんだろうって思うくらいの飛びぬけた完成度」と語ります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

法隆寺というお寺は、当時最高のものが結集した場所でした。
そしてそれをずっと守り伝えてきたのも法隆寺でした。
そのおかげで、飛鳥時代の最高峰を現代の私たちも目にする事ができるのです。

今回の特別展「聖徳太子と法隆寺」はそういった感動を感じ取ることができる展覧会なのです。

今回の記事はここまでになります

最後までお読みいただきありがとうございました。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでになります。 パート3に続きます。 【美術番組まとめ】聖徳太子と法隆寺③【ぶらぶら美術・博物館】 […]

タイトルとURLをコピーしました