【アートステージ】アンリ・ファンタン=ラトゥール【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2020年9月5日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【アンリ・ファンタン=ラトゥール 印象派時代の隠れた名匠】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

スポンサーリンク

イントロダクション

19世紀末のフランス、印象派と同じ時代に活躍したのがアンリ・ファンタン=ラトゥール(1836~1904)です。
彼は肖像画、そして静物画の傑作を残したことで知られています。

時代に寄り添いながらも、独自の美学を貫き、異色の輝きを放つ彼の作品とその生涯についてまとめていきます。

《テーブルの片隅》ファンタン=ラトゥール

19世紀後半のパリは、新しい表現を追求する若い芸術家たちで活気づいていました。
美術、文学、音楽、それらジャンルを超えて、彼らは切磋琢磨していたのです。


《テーブルの片隅》1872年
アンリ・ファンタン=ラトゥール
オルセー美術館蔵

ファンタン=ラトゥールもその流れの中に身を置く芸術家の一人でした。
その事を示す作品が、この《テーブルの片隅》です。

ファンタン=ラトゥールが36歳の時に描いたこの作品は、彼の代表作の一つとして知られています。

8人の男たちがカフェのテーブルを囲んでいます。
各人がそれぞれ別の方向を見ていて、グループというよりは、”個性の強い、どこか一筋縄ではいかない人達”といった印象を与えます。

彼らはこの時代に活躍した詩人です。
中でも前列の左端とその隣の人物は、フランス文学史に名を残す大詩人です。


一番左でワイングラスに手をかける人物は、繊細な詩と破滅的な生活で知られるポール・ヴェルレーヌです。
彼の詩は日本でも明治時代から愛されてきました。


その隣で頬杖をつき、こちらを見つめる男性。
彼はこの集団の中での最年少、天才詩人のアルチュール・ランボーです。

ヴェルレーヌを除く6人には背を向けたようなランボーの姿勢、そのどこかふてぶてしい佇まい。
彼は10代にして代表作『地獄の季節』を執筆しますが、ここに描かれるのはその直前の姿です。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ランボーはその後、あっさりと文学を捨て、貿易商として働きます。
ファンタン=ラトゥールの筆はそんな天才詩人の、反抗的な内面までも描ききっているようです。


見事な人物描写が目を引く作品ですが、静物もまた緻密に描かれています。
ワインの入ったガラス瓶、前景に置かれた花瓶の花など、それ単独で静物画として通用する出来栄えです。


《花と果実》1866年
ファンタン=ラトゥール
トレド美術館蔵

ファンタン=ラトゥールは、肖像画と静物画の名手として知られています。
私は花瓶の花を描くように人物を描いた
彼の残した言葉のとおり、その人物像はどこか品が良く、エレガントな雰囲気をまとっています。


ファンタン=ラトゥールはこの《テーブルの片隅》のように、同時代の芸術家たちを群像で描いた絵が他に3点あります。


《バティニョールのアトリエ》1870年
ファンタン=ラトゥール
トレド美術館蔵

その中の一枚《バティニョールのアトリエ》では、当時パリで活躍した画家の姿が描かれています。

右手に絵筆、左手にパレットを持ち、今まさに描いているのが「印象派の父」と呼ばれるエドゥアール・マネです。
マネの背後には、ルノワールモネも登場しています。

当時の芸術家たちの姿を残した作品として、この時代の空気をリアルに今に伝える一枚です。


奥の壁には絵のない額が飾られています。
これはここにいる画家たちが、まだ見ぬ未来の絵画をこれから担っていく事を暗示しているようです。

画家アンリ・ファンタン=ラトゥール

アンリ・ファンタン=ラトゥール自画像(23歳)

アンリ・ファンタン=ラトゥールは、1836年フランス南東部、アルプスの麓の街グルノーブルに生まれました。
彼の父親はこの街で活動する画家でした。

5歳の時にパリに引っ越し、10歳からは父から絵の手ほどきを受けます。18歳の時には名門エコール・デ・ボザールに入学、同級生にはあのドガがいました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

修業時代の彼はルーヴル美術館に足しげく通い、ヴェネツィア派17世紀オランダ絵画、そしてロココの名画の数々を熱心に模写しました。


過去の巨匠から学ぶ一方で、同時代の最新の動向にも敏感でした。
特に、写実主義の画家として活躍していたギュスターヴ・クールベからは直接教えを受けたといいます。

さらにファンタン=ラトゥールの関心はヨーロッパ絵画にとどまりませんでした。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

当時のパリはジャポニスムが席巻しており、ファンタン=ラトゥールもまたその影響を受けています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

1867年に開催されたパリ万博では、様々な日本の美術品・工芸品が出品され、ヨーロッパの人々に驚きをもって迎えられました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ファンタン=ラトゥールは日本美術を好む仲間たちと愛好家クラブを結成するほど、のめり込んでいきました。

ジャングラールの会」と呼ばれたその会では、参加者は着物を着て、箸を使って、日本酒を楽しんだといいます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

その「ジャングラールの会」の中に、ジャポニスムを語る上では欠かせない人物、フェリックス・ブラックモンがいました。
彼はヨーロッパであの『北斎漫画』を発見したといわれる人物です。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ブラックモンはテーブルウェアで一躍有名になりました。
デザインには『北斎漫画』が用いられていますが、このアイデアは「ジャングラールの会」の集まりがきっかけになったといわれています。

当時ラトゥールと同時期に活躍していた他の印象派の画家は、自身の作品の中に日本趣味を取り入れています。

ゴッホ《タンギー爺さん》

こちらのゴッホの作品では、背景を日本の浮世絵がびっしりと埋めています。

モネ《ラ・ジャポネーズ》

モネの《ラ・ジャポネーズ》も、着物や団扇など日本趣味関するものが様々描かれています。
彼らは時に日本美術そのものを、あるいは浮世絵の斬新な構図や平面的な表現を作品に取り入れました。

一方のファンタン=ラトゥールは日本趣味を好んだものの、作品の中にその直接の影響は見られません

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

彼がジャポニスムから学んだのは、「日常を芸術にまで高める」という美意識そのものでした。


《ポピー》1891年
アンリ・ファンタン=ラトゥール
南オーストラリア美術館蔵

ファンタン=ラトゥールが静物画を得意とした理由はそこにあるのかもしれません。
日常にあるささやかなものに対する愛情があり、それを真摯に見つめる彼の目が、数々の傑作を生み出したのです。


19世紀後半、パリで起こった芸術革命の真っ只中に身を置きながらも、それに流される事無く自らの芸術を追求したファンタン=ラトゥール
彼の作品には、古今東西の美術に対する敬意が込められています。

タイトルとURLをコピーしました