2020年5月17日にNHKにて放送された「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」をまとめました。
こちらの記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☜からご覧ください。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《鳥獣戯画》甲巻で使われていた紙
2009年から行われた《鳥獣戯画》甲巻の修復作業。
その過程で意外な発見がありました。
それは使われていた”紙の質”です。
それは当時の常識では考えられないものでした。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
通常、絵巻に使われるのは右のような紙です。
こちらは楮(こうぞ)繊維を2ミリや3ミリほどの細かく裁断した後すいたもので、非常に上質で綺麗な紙です。
しかし《鳥獣戯画》に使われている紙は左のもののように、紙の繊維が荒く、丁寧に作られていないものでした。
この時代、大きな寺院などでは一度使った紙をほぐして再利用するという事がよくありました。
そのリサイクルされた紙は普通、手紙や書類など普段使いされていました。
このような紙で絵巻物を描くという事は考えられないことなのです。
『源氏物語』との比較
平安時代、ほとんどの絵巻は贅を尽くした最高級品でした。
同じ平安末期に描かれた国宝の『源氏物語絵巻』。
こちらでは高価な紙に高価な絵具がふんだんに使われています。
この絵巻を見る事が出来たのは、宮中にいる天皇や貴族など限られた高い身分の人と考えられています。
ストーリーが書かれた文字だけの部分にも、金箔や銀箔が使われるほどの豪華っぷりです。
当時絵巻はその豪華さを競い合うかのように、どんどんきらびやかになっていきました。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
一方の《鳥獣戯画》の方はというと、普通の紙に墨の線だけ描かれており、そこに豪華さはありません。
つまりこの点から考えられるのは、同時代に作られた他の絵巻とはその目的が異なるという事です。
偉い人や高貴な人に見てもらうというではなく、みんなで楽しむためのものだったと考えられます。
では一体どんな人物がこの絵巻を描いたのでしょう。
一説には平安時代に活躍した僧侶で、絵も得意だったされる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょう かくゆう)だという説もありますが、それを具体的に示す根拠はありません。
画家の視点からの分析
東京藝術大学大学院で非常勤講師であり、日本画家の武田裕子さんが《鳥獣戯画》を分析しました。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
《鳥獣戯画》は最小限の筆致、筆さばきで描かれており、一見パパっと描いているように見えますが、すごく上手いといいます。
特に武田さんがすごいなと思う点が、ひっくり返るカエルのお腹の線だといいます。
ス~ッと一筆で線が描かれていますが、その線だけで柔らかそうな感触を表現しています。
脱力感がありつつも、ちゃんと描けている上手さがあるといいます。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
また絵巻が進むにつれて、前半と後半で絵のタッチが違ってきていると武田さんはいいます。
(上が前半部分で、下が後半部分です)
これはすなわち”描いた人物が違う”というのです。
具体的にどのように違うのか、前半と後半から似たポーズのウサギを選び、武田さんが模写をしました。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
左が後半部分のウサギ、右側が前半部分のウサギです。
武田さんによると、ウサギの毛の描き方や、特に後ろ足のフワフワ感が違っているといいます。
後半(左側)の方がそれがより自然に、繊細に描かれているのが分かります。
また足が蹴っている感じも後半の方が良く出ているといいます。
「模写をした感じからは、前半と後半では描いた人物は別人ではないか?」という印象を武田さんは持ったといいます。
美術史家 黒田泰三氏の分析
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
「甲巻を描いた画家は一人以上、複数人いた」
平安の絵巻に詳しい美術史家の黒田さんによると、これは即ち「注文を受けて仕事を分担している」というのを意味しているといいます。
もしこの《鳥獣戯画》が画家自身が描きたくて描いたものだとするならば、一人の画家が全てを描いているはずです。
そこから考えても何らかの形で発注者がいたと考えられます。
だとすると、一体誰が同時代の他の絵巻と一線を画す絵巻を発注したのでしょうか。
それも実のところ分かっていないのが現状です。
ただ、何かしらの関係があるのではないか、と考えられる人物がいます。
それが後白河法皇です。
後白河法皇
後白河法皇(1172-1192)は芸能や文化を愛し、特に絵巻の制作に熱心で、様々な画題のものを作らせたという記録が残っています。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
後白河法皇と『鳥獣戯画』のつながりをうかがわせる作品があります。
それが『年中行事絵巻』です。
オリジナルは残念ながら失われていますが、模本が残されています。
宮中の年間の行事を記す目的で後白河法皇が作らせました。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
その中に『鳥獣戯画』とよく似たところがあります。
祭で掲げられた傘鉾(大きな傘の上に置かれる飾り)に、『鳥獣戯画』甲巻の冒頭に出てきた鹿に乗るウサギとよく似た描写があるのです。
画像出展元:テレビ番組「謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?」より
合戦遊びをする男たちの姿は、甲巻後半でサルが追い掛け回されるシーンにそっくりです。
追われる人とサルの帽子の付け方も似ています。
後白河法皇が『鳥獣戯画』の制作に関わっていたという確かな証拠は見つかっていません。
しかしながら、法皇の時代のうねりが関係しているといえるのではないでしょうか。
パート3はここまでです。
パート4へと続きます。
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