【アートステージ】ラファエロ《美しき女庭師》【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2020年11月7日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【歴史の転換期の名画 1 ラファエロ「美しき女庭師」】の回をまとめました。

番組内容に沿ってそれでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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イントロダクション

人類の歴史には、世界観を一変するほどの大きな出来事があります。
15世紀のフィレンツェで始まった「ルネサンス」もその一つです。

ルネサンスは「再生」という意味があります。
古代ギリシャローマの遺跡の発掘が行われ、古代にリアルな人体表現が存在したことが分かります。
その文化、すなわち「古代の文化を再生・復興させよう!」というのが”ルネサンス”なのです。

今回はレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロと共に”ルネサンス三大巨匠”に数えられるラファエロの作品についてまとめていきます。

ラファエロは、今回取り上げる《美しき女庭師》のような聖母子像を数多く残した事から、「聖母の画家」と呼ばれています。


《美しき女庭師》1507-1508年
ラファエロ・サンティ
ルーヴル美術館蔵

草花の生い茂る穏やかな田園風景の中に、ゆったりと聖母マリアが腰掛けています。
その足元には向かって左側に幼子イエス右側に洗礼者ヨハネが見えます。

幼子イエスと視線を合わせる聖母マリアは、慈愛に満ちた優しい眼差しをしています。
まるで何かを語りかけているようです。

3人は安定感のあるピラミッド型の構図の中に描かれています。

この作品には色彩・構図・描写、それらすべてが調和して、見ている人に感動を与えているのです。

ラファエロとレオナルド

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

1483年、イタリア中部の都市ウルビーノに生まれたラファエロ
早くからその才能を発揮し、若くして独立。一人前の画家として活躍します。

そんな彼がフィレンツェに訪れたのは1504年の末頃の事。
この時ラファエロは20代前半でした。

当時のフィレンツェは芸術の中心地であり、大都会でした。
またレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロも、すでにこの地で活躍していました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

そもそもラファエロがフィレンツェに向かった目的も、レオナルドに会い、絵画技法を学ぶためでした。
ラファエロは勉強熱心で、また性格も非常に穏やかだったといいます。

レオナルドはそんなラファエロをすぐに気に入りました。
30ほど年の離れた若い画家に、レオナルドは様々な技法を伝授しました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

当時フィレンツェでレオナルドは《聖アンナと聖母子》の下書きを公開していましたが、ラファエロはこの絵を正確に模写しています。

こうしてレオナルドの優雅な表現を、自身の中に吸収していったのです。

ラファエロとミケランジェロ

フィレンツェでは、ミケランジェロとの出会いもありました。
しかしレオナルドのように、友好な関係にはなりませんでした

ラファエロミケランジェロに学ぼうと彼の工房を訪れます。
しかしミケランジェロは「ラファエロは盗人のような奴だ」と言い、工房にまで押しかけてくる彼を毛嫌いしました。
その並外れた吸収力に嫉妬したのです。

しかしラファエロの飽くなき研究意欲は、頑固なミケランジェロの前でも収まる事はありませんでした。
傑作『ダヴィデ像』をじっくりと観察し、ダイナミックな人体表現を我が物にしていったのです。

《美しき女庭師》

レオナルドからは科学的な視点や優美さを、ミケランジェロからは迫力のある肉体表現を学んだラファエロは、それらを土台にして、自身の芸術を確立します。

その結果生み出されたのが、この《美しき女庭師》といえるでしょう。
ラファエロがフィレンツェに滞在していたのが1508年の末頃までなので、この作品はフィレンツェ時代の最後の方の作品という事になります。

衣服の表現はまるで彫刻のように表わされています。


幼子イエスの体をひねった人体表現はミケランジェロから学んだものです。


一方で背景は、遠くの方に向かうにつれて青みがかって描かれています。
ここにはレオナルドから習得した空気遠近法の技法が使われています。


あの名画《モナ・リザ》でも同様の技法が使われているのが分かります。

 

全体の構図は、ラファエロが模写をしたレオナルドの《聖アンナと聖母子》の三角構図を採用しています
レオナルド三代にわたる生命の繋がりを、ピラミッド型の構図のなかに描きました。
そうする事で構図が安定する事の他に、均整の取れた配置から「人間の精神性」や「普遍性」を表現する狙いがあったのです。

ラファエロは偉大な先達の二人が培った技術を自分のものにして、自らの画風として融合・昇華してみせました。
レオナルドでもなくミケランジェロでもなく、ラファエロによってルネサンスが完成された、といっても過言ではないでしょう。

ラファエロが生み出した聖母像は、ルネサンスの集大成であり、完成形だったのです。

ペストとマリア信仰

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ヨーロッパでは14世紀以来、ペストの恐怖に脅かされていました。
感染者の皮膚が内出血で紫黒色になる事から「黒死病」と呼ばれ、これによりヨーロッパの人口の約3分の1の人が亡くなったといわれています。

そんな状況下で、人々の間で聖母マリアへの信仰が高まっていきました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

マリア信仰」はキリスト教初期の頃から存在しました。
それが中世以降、さらに広まっていきます。

そこに訪れた「ペスト」という脅威。
自分や周りの人の死におびえる中で、人々がすがったのが聖母マリアでした。
全てを包み込む聖母マリアの母性が、人々に希望と勇気を与えたのです。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

次第に聖母子像は、ペスト除けのお守りとして人々から大切にされるようになっていきました。


ラファエロが描いた聖母子は、多くの人が心に描いてきた母性や安らぎを具現化したものでもあったのです。
ここで描かれている女性は、”聖母”でありながらも親しみやすい姿で描かれているのが特徴です。

「人間的」なその佇まいは、人間性を復活させたルネサンス精神そのものといえるでしょう。

今回の記事はここまでになります。
最後までご覧頂きありがとうございました。

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