【ぶら美】日本に来ない名画展⑤【バロック美術】

ぶらぶら美術・博物館

2020年7月14日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#352 ぶらぶらプロデュース!夢の特別展④~世界の美術館を旅しよう!山田五郎「もう絶対、日本に来ない名画」展~】の回をまとめました。
今回の記事はパート5でラストになります。
前回のパート4はこちら☜からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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バロック絵画

このパート5では「バロック絵画」についてまとめています。
バロックの絵画は一言で言うと”劇的な表現です。

ポルトガル語で”いびつな真珠”を意味する「バロッコ」が、バロックの由来です。

ルネサンスが”円”だとするならば、バロックは”楕円(だえん)”で、つまり形が少し歪んでいる
そして”円”の場合は中心が一つだけど、”楕円”の場合は中心が2つあり、それが『明と暗』である」と山田五郎さんは説明しています。

とても分かりやすいですね~。

バロック絵画が発展した理由の一つには、宗教改革で信者を奪われたカトリック教会が「宗教画で信者を取り戻そう」と考えて、信者に訴えかけるような強い表現を求めた事です。

それともう一つは、イギリス・フランス・スペインなどから新しく強い王様が出てきた事です。
彼らは「自分たちがいかにすごいか」というのを絵で見せつけていこうと考え、画家に作品を描かせたのです。

そんなバロック美術を確立したと言われているのが次の作品を描いた画家です。

《聖マタイの召命》カラヴァッジョ


《聖マタイの召命》1600年
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会

1600年に描かれたカラヴァッジョの《聖マタイの召命》です。

1600年というと、日本だと関ヶ原の合戦の年ですね。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

カラヴァッジョのこの作品はよく単体で紹介されますが、じつは教会の壁に描かれた三連作の内の一つなのです。
この三つの連作で聖マタイの一生を表現しているのです。

教会の壁の絵なので、日本には持ってこられないわけですね。

この作品がカラヴァッジョの出世作となりました。
絵も売れてきて、徐々に荒々しい性格や行いが目立つようになり、最終的に人を殺して逃亡。
そしてその逃亡中に亡くなるのです。

カラヴァッジョその人生も明暗のある画家だったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

このカラヴァッジョが活躍している頃に、ヨーロッパの北の方からイタリアの美術を勉強しようとして多くの画家がイタリアにやってきます。

そこでカラヴァッジョの作風に影響を受けた画家たちの事を、カラヴァジェスキと呼びます。

《マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸》ルーベンス

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ルーベンスカラヴァッジョが活躍した頃のイタリアに絵の勉強をしに行っています。

ルーベンスはヨーロッパの王侯貴族にたいへんな人気を博しました。
今でもどこの美術館へ行ってもルーベンスがありますし、どこの王宮に行ってもルーベンスの作品があると言っても過言ではありません。

そんなルーベンスの作品の中でも有名なのが、『マリー・ド・メディシスの連作』です。
マリー・ド・メディシスフランス国王アンリ4世の王妃で、イタリア・フィレンツェの名門メディチ家からフランスに嫁ぎました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そんなマリー・ド・メディシスから「私の生涯を絵にしてほしい」という注文を受け、ルーベンスが描いたのが、24枚の連作のシリーズです。
ルーブル美術館にはその連作を展示する「メディシスの間」と呼ばれる展示室があります。

ルーベンスは「王の画家であり、画家の王」という言われ方をします。
彼が王侯貴族に人気があった理由は一体なぜでしょう?

それは実在の人物である彼らを、まるで神話の登場人物のように描くことができたからです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この《マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸》は、彼女がイタリアから地中海を渡り、マルセイユに上陸した時を描いています。
実際の出来事にもかかわらず、船の下の光景はまるで神話の世界です。

リアルでそんな裸の人たちはいませんからね。


船の下で三又の槍を持っているのは海を司る神様のポセイドンです。
その横でほら貝を吹いているのが、ポセイドンの息子で、同じく海の神様のトリトンです。

つまりここでは「海の神様たちがマリー・ド・メディシスの航海を守ってきた」というのを表しています。


上陸したマリー・ド・メディシスの前にはローマ時代の兵隊のような人物が見えます。
青いマントにはフランス王家のシンボルが表されており、この兵士はフランス王国を擬人化したものだと考えられます。

彼女の真上には
マリー・ド・メディシス様のおな~り~
と言わんばかりに天使がラッパを吹いて祝福しています。

この『マリー・ド・メディシスの連作』は彼女の存命中に描かれた作品です。
こんな風に描かれたら、さぞ気持ちが良かったことでしょう。
王侯貴族に人気があったのが良く分かります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

バロックの時代になると絵画の中心地はイタリアではなく、アルプス山脈よりも北側になってくるのです。

さらに画家のスポンサーも変わってきます
それまでは教会が主要なスポンサーですが、それが王侯貴族へと変わっていくのです。

《夜警》レンブラント

一方で、教会でもなく王侯貴族でもなく市民が画家のスポンサーだった国がありました。
それがオランダです。
オランダは市民が貿易で富を得ていました。


《夜警》1642年
レンブラント・ファン・レイン
アムステルダム国立博物館蔵

そんな市民をスポンサーに描かれた作品がレンブラントの《夜警》です。
この作品は”オランダ国民が最も愛する名画”と言われています。

山田五郎さん曰く「オランダで死んでも守らなければ一枚どれですか?となったら、この作品だ」との事。

この作品がレンブラント絶頂期(ピーク)の作品で、彼はここから落ちていくのです。

レンブラントはこの《夜警》のような集団肖像画を得意とした画家でした。
集団肖像画は今でいう所の記念写真のようなものです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

夜警》は画面中央にいるコック隊長が率いる町の自警団を描いた集団肖像画なのです。

レンブラントはその構成をただ正面を向いて並んでいるのではなく、何かやっている状態、いわゆる演出を加えて描くことで売れた画家だったのです。

しかしこの《夜警》ではその演出をやりすぎてしまったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

集団肖像画は全員が、隊長も副隊長も関係なく、平等にお金を出し合って発注されました。
にもかかわらず、明らかに人物の不平等感が出てしまっているのです。


さらに一番スポットライトが当たっているこちらの少女、もちろん自警団の人ではありません。
この少女は自警団が手にしている鉄砲の擬人化だと言われています。

しかしお金を払った側からすれば「一番目立っているとは何事だ、お金払っている自分たちより目立っている!!」となってしまったのです。

結果的にこの《夜警》でレンブラントの評判が落ちてしまうのです。


さらにこの絵を描いている最中に最愛の妻であるサスキアが亡くなってしまいます。

幼い子供が残されその子の面倒を見るために、レンブラントは乳母を雇いますが、その乳母と愛人関係になります。
そこで止めておけばよかったものの、更にその後雇ったお手伝いさんとも愛人関係になってしまうのです。

結局その乳母だった女性から婚約不履行として訴えられ、多額の賠償金を払う事になります。

さらにオランダの国自体も景気が悪くなり、絵の注文も減っていきます。
そして最後には破産してしまうのです。


つまりこの《夜警》はオランダ黄金時代を象徴する”記念碑的名画”と言える作品なのです。

今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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