2021年5月9日にNHKで放送された「日曜美術館」の【孤高の花鳥画家 渡辺省亭】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
晩年の省亭
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
省亭は人生の大半を浅草や隅田川の近辺で過ごしました。
パリにこそ行きましたが、国内旅行はほとんどしなかったと言います。
日本画家として初めてヨーロッパに渡り、現地の画家にも一目置かれるような存在であったにもかかわらず、なぜ最近まで「忘れられた存在」だったのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
明治31年に日本美術院が創設された際、当時48歳の省亭にも参加のオファーがありましたが、彼はそれを断っています。
この頃から省亭は美術団体には属さず、展覧会にも作品を出品しなくなっていきました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
画壇から距離を置いた省亭は、自分の作品を求める下町の旦那衆からの注文を受け、作品を制作していきます。
主に掛軸を手掛けるようになり、現存する掛軸の作品数は500点以上にのぼります。その一方で、大型の屏風絵などはほとんど描かれませんでした。
迎賓館赤坂離宮 花鳥の間
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
東京・元赤坂にある迎賓館赤坂離宮。
日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋宮殿です。
建築家の片山東熊の設計により、明治42年に東宮御所として誕生。2009年には国宝に指定されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
晩餐会などが開かれる「花鳥の間」。
ここに省亭の花鳥を見る事ができます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
壁には30枚にも及ぶ七宝額絵が飾られています。
この下絵を手掛けたのが省亭なのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
省亭の原画を、七宝家の濤川惣助(なみかわ そうすけ)が高い技術力を持って七宝にしました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この作品では、檜がまるで墨をぼかしたかのように表現されています。
羽毛はまるで、筆で描いたかのように繊細な表現です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
手前の柳の枝にとまっているのがヤマセミ、その奥の細い枝にいるのはカワセミです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
カワセミは「飛ぶ宝石」とも称されます。
羽根が美しく、翡翠(ひすい)のようである事から、カワセミは漢字で書くと、ヒスイと同じ「翡翠」になります。
こちらの七宝では、その鮮やかなグラデーションが見事に表現されています。
これにはじつは非常に高い技術が求められます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
省亭と濤川のペアはこの時すでに25年以上の付き合いになっていました。二人は日本画の世界を七宝に写す試みを続けていました。
七宝とは
ここで七宝の作り方についてまとめていきます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
まず初めに銅の素地に下絵を描きます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その線の上に、銀などの薄い金属の線を張り付けて仕切りを作ります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その中にガラス質の釉薬を使って色をつけていきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こうして出来上がるのが、金属の線が入っている「有線七宝」になります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
これに対して省亭・濤川ペアが開発したのが「無線七宝」です。
無線七宝では釉薬をさした後に、仕切りとなった金属線を外します。
これにより隣り合った釉薬が混ざり合い、グラデーションのような効果が生まれるのです。
焼き上がりを想定して、釉薬を扱う必要がある事から、たいへん高度な技法といえます。
こちらは省亭直筆の原画です。
いつにも増して密度の濃い描写で、省亭の気合の入り様が伺えます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その省亭の心意気に濤川は見事に応えています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
花鳥の間を飾る30枚の七宝は、3年間の歳月をかけて完成しました。
省亭の絵は決して退色することのない七宝に写され、永久にその鮮やかさを保たれるのです。
「これが国家的プロジェクトだからものすごい意気込んでとか、そういう感じじゃないんだな、この人は。江戸っ子たるものね、そんなお上の仕事にね、へいこらなんかしないよ」(山下裕二先生)
孤高の画家 渡辺省亭
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
省亭は生涯に渡って、写生をして作品を作り続けました。
そして大正7(1918)年、68歳でこの世を去ります。
その後に起きた関東大震災や、戦争によって少なからぬ省亭の作品は失われる事となります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
省亭の絶筆です。
春の野辺にタンポポやレンゲソウが咲き誇り、その上を2匹の蝶が優雅に舞います。
この蝶だけが未完成のまま残されていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
省亭は”地位”や”名誉”に興味のない画家だったといいます。
「自分の名を世間に知らしめたい」「なにか賞を取りたい」という考えはなく、ただ一点一点、作品のクオリティを追求した人でした。
「(省亭は)自分の実力に絶対の自信があった」と山下氏は言います。
下町の旦那衆の注文に応じて作品を描き、画料をもらう。
それで生活が成り立っていたので、「偉くなりたい」「権威になりたい」という考えはなかったのです。
また弟子もいませんでした。
この時代、名声を得て、多くの弟子を取って、”大家”と呼ばれるような絵師は沢山いました。
それに対して省亭は常に一人で、弟子はおろかアシスタントもいなかったといいます。
その結果、省亭の技術、そして活動の実態が後世に伝わらず、やがて忘れられた存在になっていったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
番組解説の古川氏は、省亭について「一見、平凡とは言わないけれども、当たり前の世界を描き続けた人」と言います。
例えば伊藤若冲や今日「奇想の画家」と呼ばれる絵師たちは、手の凝った描写やエキセントリックな表現で、見る人を驚かせようとしました。
一方、省亭の場合は何か「特別なもの」を描くのではなく、「当たり前のもの」、「日常的なもの」、それらをいかに自然に描くかという所にこだわりました。
確かに省亭の描く絵は、普通であり、当たり前であり、そういったインパクトのある画家の作品に比べると弱いのかもしれません。
しかし今、このコロナ禍という時代において、”当たり前”というものがどれだけ尊いものであったか人々が再認識する中で、省亭の作品はその事の大切さに改めて気づかせてくれるのかもしれません。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。