「ぶらぶら美術・博物館」の福田美術館の特集の回を自分用のメモとしてまとめました。
パート1に引き続き今回も2020年1月13日(月・祝)まで開催された「福美コレクション展」の作品をご紹介していきます。
放送を見逃した方や、もう一度内容を確認したい方は是非ご覧ください。
前回のパート1はこちらからご覧ください。
【ぶらぶら美術・博物館】②福田美術館 パート1【横山大観・木島櫻谷】
《巌頭飛雁図》円山応挙、1767年
画像出展:福田美術館ホームページより
パート1で取り上げた木島櫻谷が最後の円山派の絵師でしたが、
次はその元祖・円山応挙の作品をご紹介します。
円山応挙は江戸時代後期に、貴族や武士に代わり商人が台頭してきた頃に生きた絵師です。
難しい画題ではなく、誰もが親近感を持てる身近な主題を取り上げ人気となりました。
野菜や動物を取り上げた彼の作品は、今日でも人気があります。
応挙が円満院(えんまんいん)という滋賀のお寺に居たときに、そこの住職に支援してもらいながら絵を描いていた頃の作品です。
読み方は「がんとうひがんず」と読みます。
岩の頭から雁(がん)という鳥が飛んでいる様子を描いた作品です。
画中には三羽の雁が描かれていますが、それぞれ違ったポーズで描き分けています。
特に着水する瞬間の雁の動きは躍動感があり、大変見事です。
写生を重んじた応挙の持ち味が存分に発揮されており、波のしぶきの一つ一つも丁寧に描かれています。
福田コレクションの中には、円山応挙の作品が全部で33点あります。
《猛虎飛瀑図》与謝蕪村、1767年
画像出展:福田美術館ホームページより
読み方は「もうこひばくず」です。
与謝蕪村と聞くと俳人のイメージですが、実は絵画も大変上手な人でした。
そんな蕪村の絵画でも、このような動物画は大変珍しいです。
中国から入ってきた当時の最先端のスタイル取り入れた作品です。
しかし描かれている虎はどこか不自然です。
蕪村は実物の虎を見ていないので、恐らくは毛皮を参考にして描いたのだと推測されます。
同時代の京都画壇には著名な人物が数多くいました。
円山応挙はもちろん、蕪村や伊藤若冲もいました。
蕪村はこの作品以降、このような動物画を描くのをやめました。
きっと周りのすごい絵師たちの作品を見て、
「自分はこの方向性ではない」と感じたのではないでしょうか。
以降の蕪村の作品は、南画や俳画といった彼独自の方向性へと進んでいきます。
福田コレクションにおける与謝蕪村の作品の数は34点となっています。
《大天狗図》葛飾北斎、1839年
画像出展:福田美術館ホームページより
江戸の巨匠、葛飾北斎の作品です。
こちらの作品は2016年に江戸東京博物館で開催された「大妖怪展」に出品されていましたので、もしかするとそちらでご覧になった方がいるかもしれません。
背景の蜘蛛の巣といい躍動感ある体勢といい、まるでスパイダーマンです。
そして驚くことにこちらは北斎80歳頃の作品です。
80歳にしてこの発想力と技量は、さすが北斎!の一言です。
この頃は画狂老人卍と名乗っていましたね!
後ろの蜘蛛の巣は外隈(そとぐま)を用いて表現されています。
髪の毛一本一本、羽の一つ一つをものすごく丁寧に描いています。
北斎は幾つになっても細部を手を抜かない、本当に丁寧な仕事をする絵師と言えるでしょう。
《雲龍図》狩野探幽、1666年
画像出展元:まなびジャパンより
狩野探幽(1602~1674)は、江戸時代初期に活躍した狩野派の絵師です。
また、探幽は龍を上手に描くことでもよく知られています。
近年福田コレクションに加わった作品で、それ以前は恐らくお寺に納められていたのではと考えられています。
今から350年ほど前、描かれた当時の表具と紙が使われています。
この作品はかなり絵の表面が焼けていることから、実際にお寺等で吊るされていたり、御勤めなどに使用されていたと考えられます。
いかがでしたでしょうか。
パート2は一旦ここまでと致します。
パート3では上村松園の作品と、今後の福田美術館での展覧会の情報をまとめていきます。
こちらからご覧ください☟☟
【ぶらぶら美術・博物館】④福田美術館 パート3【今後の展覧会の目玉作品】
コメント
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