2023年2月21日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#428 夭折の天才“エゴン・シーレ”展~28年の生涯で生み出した唯一無二の絵画世界~】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事はパート5になります。
《縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレは25歳の時に、この絵のモデルであるエーディトと結婚します。
ウィーン近郊のノイレングバッハで暮らしていたシーレですが、その後またウィーンへ戻ります。そこでクリムトのアトリエの近所に、自身もアトリエ付きの住居を借りるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そのアトリエの向かいに住んでいたのがエーディトの暮らす一家でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレにはそれまで付き合っていたワリーという女性がいましたが、なぜエーディトと結婚することになったのでしょう。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレは中流階級の”比較的良い家系”の出身でした。
そういった背景から、結婚相手はある程度”良い家系の人”が良いと考えたのです。
一方、それまで付き合っていたワリーは労働者階級の出身でした。
そういった背景もあり、シーレはワリーではなく、エーディトと結婚することを選んだのです。
なんだかひどい話ですね…
しかしシーレのダメ男っぷりはこれだけではとどまりません。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
自分は別の女性と結婚するにもかかわらず、ワリーに「結婚後も毎年休暇を一緒に過ごそう」と持ち掛けるのです。
当然ワリーは「そんなのお断り!」とシーレの提案を突っぱねて、彼の前から姿を消すのです。
これを、エーディトは知っていたのか?
気になるところです…
その後ワリーは従軍看護師に志願し、シーレが亡くなる前年に猩紅熱で亡くなっています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
一方シーレはエーディトと新婚旅行に行って間もなく、オーストリア軍に入隊します。
しかしシーレが配属先は前線ではなく、事務的な仕事だったため、兵役に就きながらでも絵を描く事ができたのだといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この《縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ》は結婚した年に描かれたということもあり、初々しい姿で少々表情も硬い印象を受けます。
『第49回ウィーン分離派展』ポスター
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらはシーレが手掛けた『第49回ウィーン分離派展』のポスターです。
この1918年のウィーン分離派展では、シーレが大々的に特集されました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
じつはこの年の2月にウィーン分離派の初代会長で、シーレにも多大な影響を与えたクリムトが亡くなってしまいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そのような背景もあり、この1918年のウィーン分離派展ではシーレの作品がメインルームに展示されることとなりました。
当時ウィーンでシーレと同じくらい注目されていた画家・劇作家のオスカー・ココシュカという人物がいましたが、失恋を機に彼もまたウィーンを去ってしまいます。
そんなこともありシーレがウィーン画壇のトップに出ることとなるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
それを象徴するかのように『第49回ウィーン分離派展』のポスターでは一番上の席に自分自身を描いています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレの反対側、一番手前の椅子が空席になっていますが、これは亡くなったクリムトに捧げられているのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この頃のシーレは大成功を収めたと言っても過言ではありません。
次々と作品が美術館に買い取られ、また新たにアトリエを設けるなど順風満帆な画家人生を歩み始めていました。
しかし良いことは長くは続きませんでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
妻のエーディトが当時流行していたスペイン風邪にかかり、亡くなってしまいます。
このときエーディトは妊娠6か月でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そしてその妻の看病をしていたシーレもスペイン風邪にかかり、妻が亡くなった3日後に亡くなってしまうのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
クリムトもスペイン風邪による肺炎で亡くなっています。
この1918年という年はクリムトが亡くなり、後を追うようにシーレが亡くなり、さらにオーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊します。
当時「社会が崩壊するんじゃなないか」という不安が社会全体にありましたが、その不安通りに600年以上続いた帝国が崩壊してしまうのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
偉大な芸術家が亡くなり、栄えた帝国が滅び、ウィーンの華やかな時代が終わったのが1918年なのです。
シーレという画家はウィーンと運命をともにした人であり、運命的な人生を歩んだ人だったのです。
シーレの風景画
さいごにシーレの風景画作品を2点、まとめていきます。
シーレといえば人物、特に自画像のイメージが強いですが、過去のシーレ作品のオークションで”最高額”を記録したのが実は風景画なのです。
2011年にサザビーズのオークションに出品された《カラフルな洗濯物のある家”郊外Ⅱ”》という作品で、日本円でおよそ32億円で落札されています。
(この展覧会の出展作品ではありません)
《吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
非常に独創的な世界観を感じる作品です。
実際の風景を描いたというよりは、抽象画のような印象を受けます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画面下部の黒色と茶色が、山と大地を表しています。
画面の大半を占める灰色は空を表しており、そこにねじ曲がった木が描かれ、細い枝が画面全体に広がっています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
パッと見だと画面全体がモノクロームにまとめられているように感じますが、よく見ると赤・青・黄など様々な色が使われているのもポイントです。
《モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
絵のタイトルにある”クルマウ”はシーレの母親の故郷であり、21歳頃にワリーと一緒に移住するも、3か月で追い出されてしまった場所です。
カラフルな色彩や家の感じなど、どこか可愛らしい印象の作品です。
描かれている視点が非常に高いのもポイントです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画面下部の黒い部分は、タイトルにもあるモルダウ川です。
その川の水平の線と、家々が織り成す垂直の線とのバランスが見事です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
描かれている家はカラフルな壁ですが屋根の色は全て統一されていて、ここでもシーレの優れたセンス・色彩感覚が表れています。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。