【ぶらぶら美術・博物館】東寺展①【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2019年5月14日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#308 東京国立博物館「国宝 東寺」展~今しか見られない!空海の密教ワールド・立体曼荼羅が出現!~】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回は東京国立博物館平成館で2019年に開催された、特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」についてまとめていきます。
その名前の通り、東寺に収蔵されている国宝、重要文化財がてんこ盛りの展覧会でした。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

東寺は794年の平安京遷都に伴って、2年後の796年に造られた国立の寺院です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

「東寺」と対になる、「西寺」もかつては存在しました
平安京の入り口の羅城門の近く、朱雀大路は挟んで東側に「東寺」、西側に「西寺」と二寺ありましたが、残念ながら西寺は今は無くなっています。

《弘法大師像(談義本尊)》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

東寺の運営を任されたのが、ご存知、弘法大師・空海でした。

空海は774年に現在の香川県に生まれます。
18歳の時に都へ上がり、官僚を目指して勉強します。

しかし仏教に目覚め、31歳の時に遣唐使として唐へ渡ります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

帰国した空海は高野山を嵯峨天皇から貰い、修行の場とします。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

更に東寺が建立されてから約30年後の823年、空海嵯峨天皇から東寺を下賜されます

運営を任された空海は、様々なお堂や仏像を造り、東寺を「真言宗の根本道場(総本山)」としていくのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの肖像画では、手に五鈷杵(ごこしょ)と呼ばれる密教の法具が握られています。

なんだか手の向きがすごいですね…

空海実際に持ち帰った五鈷杵などの密教法具については、パート2でまとめています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

空海の肖像画の傍らには、このような瓶が必ず描かれているといいます。
これには「瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないように、教えも一滴もこぼす事なく伝える」という意味があります。

国宝《風信帖》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは空海が、天台宗の祖である最澄に送った手紙です。
読み方は「ふうしんじょう」です。

空海は”三筆(さんぴつ)”と呼ばれる、平安時代の習字の上手な人トップ3に数えられるほどの書の達人でした。
(ちなみにあとのお二方は、嵯峨天皇と橘逸勢(たちばな の はやなり)です)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

出だしが「風信雲書 自天翔臨」から始まることから、最初の二文字を取って《風信帖》と呼ばれています。
この部分の意味は「手紙が天から風に乗って舞い降りてきた」となります。

空海が40歳頃の812年、813年頃の手紙と考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

元々は三通あった手紙を繋げて巻物状にしたものです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

肝心の手紙の内容はと言うと、最澄から空海に「比叡山に来てください」という旨の手紙が送られ、それに対して返答したものです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

先ず一通目では「会いに行きたいのはやまやまなのですが、今修行中のため会いにいけないので、是非あなたが来てください」と書いています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最澄空海より7歳年上で、且つ超エリート僧侶です。

その最澄に対して、すごくへりくだりながらも「おまえが来いよ」と言っているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

空海最澄一時期たいへん親密な間柄でした。

二人とも中国に渡った事がありますが、最澄は密教の重要性を認識はしていたものの長安には行かず、密教はマスターしていませんでした。
ですので、最澄空海が持ち帰ってきた密教を学ぼうと考えていたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

2通目では、「ちょっと忙しいから面談を延期したい」と空海が申し出ています。

自分から「来いよ」って言ったのに(笑)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そして最後の3通目、ここでは「九日に法要が終わるので、十日には行けますよ」と書かれています。
ただこの手紙の後に実際に会えたかどうかは、わかっていません。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

お互いに尊敬しあう間柄で、仲が良いからこその手紙の内容と言えます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

山田五郎さん曰く「踊るような字をよく見てくださいよ。これが弘法の筆ですよ

素人目にはそんなに上手いようにも見えないのですが…

学芸委員の丸山士郎さんは、「字のおおらかさや、墨の濃淡、それが空海の持ち味」と言います。
一枚の書のなかで字の大きさや濃さが違う事は、めりはりをつけるような事にもなり、決して悪い事ではないのだそうです。

今回の記事はここまでです。
続くパート2では、空海が持ち帰った密教法具や、曼荼羅図についてまとめていきます。
こちら☚からご覧ください。

コメント

  1. […] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧ください。 […]

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