【ぶら美】特別展「空也上人と六波羅蜜寺」①【空也上人立像】

ぶらぶら美術・博物館

2022年4月5日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#404 東京国立博物館「空也上人と六波羅蜜寺」〜教科書で見たあの空也上人像がお出ましに!定朝に運慶、仏像の変遷も丸わかり!〜】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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特別展『空也上人と六波羅蜜寺』

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回は東京国立博物館・本館で2022年3月1日(火)から5月8日(日)まで開催の特別展「空也上人と六波羅蜜寺」についてまとめていきます。

この展覧会の目玉はなんといってもポスターにもなっている『空也上人立像』。
教科書に必ず載っている、口から仏様が出ているという一度見たら忘れられないインパクトのお像がお出ましになっています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

普段は京都の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)に納められているこちらのお像が、じつに半世紀ぶりに東京で公開されました。

なぜこのような貴重な機会が今回実現したかというと、一つは今年2022年が空也上人が亡くなってから1050年の節目の年であるということ。
もう一つが六波羅蜜寺に新たに「令和館」が造られるということで、現在の宝物館から収蔵作品が全て出る、そのタイミングで今回の展覧会が開かれたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

空也上人は今から1000年以上昔、平安時代中期に活躍したお坊さんで、「南無阿弥陀仏」と唱える口称念仏を日本で初めて実践したといわれている人物です。

若い頃から全国各地を回り人々を助け、京都に移ってからは東市(ひがしのいち)で念仏を唱え続けたことから、「市聖(いちのひじり)」と呼ばれました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

六波羅蜜寺は京都・東山にあるお寺で、『空也上人立像』をはじめ、重要文化財を数多く所蔵しています。

現在住職を務めている川崎純性さんは、

空也上人像をお寺の外で公開するというのは非常に難しい決断だったといいます。
しかし今現在コロナ禍が多くの人々が苦しんでいるこの状況下が、1000年前、疫病が流行った京の町で人々を救うために歩き回ったこと空也上人の時代とリンクするという事で、今回特別に公開されることになりました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

六波羅蜜寺には、『空也上人立像』だけでなはく、あの有名な『平清盛像』(重文)も納められています。

六波羅蜜寺の基礎知識

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

六波羅蜜寺は10世紀半ば、平安時代の中期に空也上人自身によって建てられました
創建当初は「西光寺(さいこうじ)」という名前でしたが、後に六波羅蜜寺と改称され、天台宗の別院として発展していきます(現在の六波羅蜜寺は真言宗智山派)。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

空也上人は当時流行した疫病を鎮めるために『十一面観音』をつくろうと思い立ち、それとセットで大般若経というお経を勧進供養します。

この『十一面観音菩薩像』に関しては”秘仏”のお像ということで、残念ながら今回の展覧会では見る事ができません。
(六波羅蜜寺でも12年に一度(辰年の年)しか公開されません!)

では早速、今回の展覧会の目玉作品である『空也上人立像』をまとめていきます。

重要文化財『空也上人立像』

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらがあの有名な『空也上人立像』です。

山田五郎さん曰く「このお像を見た人みんな言いますよね。『思ったより小さい』って」という言葉の通り、大きさは117センチしかありません。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

まさしく今歩みを進めているという姿の空也上人

今回の展覧会では360度全方位から見る事ができますが、六波羅蜜寺では正面から見ることしかできないので、そういった意味でもたいへん貴重です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

(横から見ると)こんなにかがんでいると思わなかった」という感想をおっしゃる方が多いそう。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

前かがみになっている理由の一つとしては、前に掛けている鉦鼓(しょうこ)がかかなり重いのを表していると考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

右手には撞木(しゅもく)を持ち、それで鉦鼓で叩きながら「南無阿弥陀仏」と唱えて歩きます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その口から発せられた「南無阿弥陀仏」の言葉が、六体の仏様で表されているのです。

この表現がすごいですね!

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

このように”口から仏様が出ている”という表現は、絵画では見られるものだといいます。
空也上人立像』はそういった絵画的手法を参考につくられたと考えらえれています。

「(口から仏様が出ているのを)絵画で描くのはそんなに難しくはないですよね。それをわざわざ立体にしてしまったというところに、こちらの空也さんの真骨頂があるのかと…」(解説・皿井舞氏)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

「南無阿弥陀仏」の六文字が、それぞれ六体の仏像で表されているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

お像をよく見ますと細かいところまで手を抜かずに作り込まれているのが分かります。
このリアリズムと非現実的なイリュージョンの組み合わせが、『空也上人立像』のすごいところなのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

鐘は造像当初からあったと考えられていますが、今付いているのは後の時代の後補のものになります。
取り外しができるようになっており、今回の展覧会のために輸送する際には外して輸送されたといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

口から出ている仏様も取り外して運びたかったそうですが、口の中で接着されてしまっており、できなかったといいます。
取り外せないものは仕方がないので、下から支えをし、落ちないようにして運ばれたのだとか。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

口元と仏様をつなぐ線は銅線のため柔らかく、位置も簡単に変わってしまうのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その銅線の上に木でつくられた仏様がつなげられているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

左手に持っている鹿杖(かせづえ)は、ちゃんと鹿の角だと分かるように表面に穴や凹みが付けられています。

空也上人と鹿には次のようなエピソードがあります。
空也上人が北山の方から下りてくるある鹿をかわいがっていましたが、その鹿が狩人に殺されてしまいます。
それを悲しんだ空也上人は亡くなった鹿の菩提を弔うために、その角と毛皮を身につけるようになったといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

身につけているものもその鹿の皮衣ではないかと考えられています。
ちょっとシワの寄り方がクシャクシャっとちょっと硬い感じの、そういう質感表現で、いわゆる衣紋とは少し違っています」(皿井舞氏)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

細かいところまで作り込まれており、手の血管の浮き出た感じまで表現されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

何歳ごろのお像かはよく分かっていません。
お顔をよく見ると、シワが見られますが、そこまで深いシワではないので、晩年というよりは壮年期(40代)の頃と推測されます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今まさに声を発している、その様子が頬骨の盛り上がりからも分かります。

まさに人体表現や人間の動作を忠実に再現したお像なのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

後ろから見ても手を抜いたところは見られません。
細部まで細かく作り込まれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

日本全国を歩き回ったことが足元からもよく分かります。
アキレス腱からふくらはぎにかけての筋肉の付き方から「よく歩いている人の足」だと分かるでしょう。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

わらじから足の指がはみ出していますが、これもリアルな表現の一つです。
実際にわらじを履くと、このように指がはみ出てしまうのだといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

横顔もまた素晴らしい表情をしています。

「民衆が苦しんでいるのを何とかして救いたい」そんな空也上人の姿勢が表されているようです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

空也上人は阿弥陀井という井戸を作り、多くの民衆を助けたと伝わります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

口から出た仏様の”裏側”は細かい彫刻は刻まれていません。

じつはこのお像の口の中には3~4個の穴があいており、そのことから過去に何度か取れては、付け替えて、というのを繰り返したと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

現在の阿弥陀如来は後補のもので、元々の造像当初の仏さまはしっかり裏表つくられていたと考えられています。

作者の康勝

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

空也上人立像』は大正時代に行われた解体修理によってその作者が判明しました。
運慶の四男である康勝(こうしょう)だったのです。

康勝作とされるお像で現存するものはわずか数点しかありません。
そのためその手腕の全貌は想像するしかありませんが、この『空也上人立像』からもわかる通り、父・運慶の写実をしっかりと受け継いだ、たいへん腕の立つ仏師であったことが想像できるのです。

今回の記事はここまでになります。

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