2019年5月14日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#308 東京国立博物館「国宝 東寺」展~今しか見られない!空海の密教ワールド・立体曼荼羅が出現!~】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
国宝《金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは空海が唐から実際に持ち帰った密教法具で、五鈷杵・五鈷鈴・金剛盤がセットになったものです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
横たわって置かれているのは、空海の肖像画でも描かれていた『五鈷杵(ごこしょ)』です。
爪のような部分が五つあるので、そう呼ばれます。
古代インドの武器がルーツだといわれています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
爪が一つだけのもの『独鈷杵(どっこしょ)』と呼び、そこから三本のもの、五本のもの、九本のものとバリエーションがあります。
どっこいしょ、みたいですね(笑)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
立った状態で置かれているのは、『五鈷鈴(ごこれい)』と呼ばれる鈴です。
儀式の最中に音を鳴らし、仏様を儀式に招いたり、歓喜させたり、儀式の終わりには仏を送り出したりと、様々な場面で使用されます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
下部の曲線もたいへん綺麗に作られており、当時の唐の技術力の高さがうかがえます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この法具は今でも実際に儀式で使われており、後七日御修法では大阿闍梨が使用します。
空海が唐から持ってきたものが、今でも使われているってすごいですね!
道場の再現
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」では、当時から今に伝わる儀式の様子が再現されていました。
その儀式とは、真言宗の中でも最も大切な儀式である後七日御修法(ごしちにちみしほ)です。
後七日御修法は、毎年正月の8日から14日にかけて行われます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この儀式は、元々は平安京の中の真言院で行われていたもので、それを現在まで東寺が引き継いでいるのです。
儀式で祈るのは、「国家安泰」と「五穀豊穣」。
さらに、今上天皇の衣を安置し、健康を祈ります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
儀式の際には、このように曼荼羅が用いられます。
密教には、大日経(だいにちきょう)と金剛頂経(こんごうちょうきょう)という二つのお経が重要となっています。曼荼羅とは、それら2つの世界を表現したものです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
大日経の世界を表したのが「胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)」、金剛頂経の方が「金剛界曼荼羅」です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
胎蔵界は教え導く母親で、金剛界は父親の実践と言われており、山田五郎さん曰く「教習所でいう所の、胎蔵界は”学科”、金剛界は”実技”」とのこと。
こうやって聞くと、「密教はやっぱり難しいな」と感じる方もいるかと思います。
空海は密教とそれまでの仏教を薬に例えて、次のように話しています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
それまでの仏教は、病気の人に薬の効果を説くようなものであり、密教は薬を処方して治す、すなわち”実践の教えである”と説いているのです。
薬の効能だけを言われたところで病気は治りません。密教はちゃんと処方して薬を出す、病を治すものだと言っているのです。
また密教は、”秘密の教え”である事から、曼荼羅のような絵や造形物を使って教えが伝えられました。
ですので、美術品が多く残されているのも特徴です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
再現された後七日御修法の儀式の周りには、絵が掛けられており、これも東寺の道場の再現になります。
これらの絵も、元々は宮中の真言院にあったものになります。
国宝『十二天像』
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この展覧会では、十二天が4点ずつ3期に分けて展示されていました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
十二天は、東西南北とその間を含めた八方、そこに上下の二方、太陽と月の二方、これら十二の方向を守る神様(護法神)です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
十二天の中にはおなじみの帝釈天から、火天や風天、水天などの神様がいます。
両界曼荼羅図(甲本)金剛界曼荼羅
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは東寺に伝わる曼荼羅図で、平安時代に描かれたものです。
両界曼荼羅のうちの「金剛界曼荼羅」になります。
下の方がかなりはがれ落ちていますね…
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
金剛界曼荼羅は、3×3の9つのブロックに分かれており、上段の真ん中のブロック、一印絵(いちいんえ)に大日如来が描かれています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この曼荼羅図は空海が持ち帰ったオリジナルのものではありません。
オリジナル版は日本で使っている内にだんだんともろくなってしまったので、空海の存命中に模写が制作されています。
今回展示されているこちらの曼荼羅図は、その模写をさらに模写した、3代目という事になります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この曼荼羅図は、1954(昭和24)年に東寺の宝蔵から、バラバラの状態で発見されたといいます。
その破片を地道に張り付けて、現在の状態まで復元したのです。
今回の記事はここまでになります。
次のパート3では、いよいよ東寺の仏像群についてまとめていきます。
こちら☚からご覧ください。
コメント
[…] 今回の記事はここまでです。 続くパート2では、空海が持ち帰った密教法具や、曼荼羅図についてまとめていきます。 こちら☚からご覧ください。 […]
[…] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧ください。 […]