前回・前々回に引き続き、「ハマスホイとデンマーク絵画」のレポートです。
この記事ではヴィルヘルム・ハマスホイ以外の他のデンマークの画家の作品の中から5作品、感想や解説をまとめていきます。
まずは「この言葉を抑えておくと、より一層楽しめるよ」というワードからご紹介していきます。
”ヒュゲ”とは
デンマーク絵画を鑑賞するにあたって押さえておきたいワード、それが「ヒュゲ」です。
「ヒュゲ」には、「くつろいだ、心地の良い雰囲気」という意味があり、現代のデンマーク人が大切にしている価値観です。
実はデンマークは「世界幸福度ランキング」で何度も一位になっており、国民の満足度が高いのです。
今回の展覧会では、そんな「幸福の国」が生んだ名画の数々を楽しむことができる展覧会です。
*ちなみに日本は、2019年は58位だったそうです・・・( 一一)
「スケーイン派」とは
この時代のデンマーク美術を語る上で、欠かせないワード、もう一つが「スケーイン派」です。
1870年代後半から1900年頃にかけて、デンマークの最北端のスケーイン村に集まった芸術家のグループの総称です。
独特の厳しい自然環境と、そこで暮らす漁師たちの日々の労働に画家たちは魅了されました。
バルビゾン村に、ミレーやドービニーなどがやってきて
「バルビゾン派」になったのと同じような感じですね。
「スケーイン派」の画家たちは、同時代のフランス印象派の影響受け、取り入れています。
これは当時の新しい美術の動向を受け入れるのと同時に、保守的なコペンハーゲンの画壇にとって革新的な存在となりました。
今回私が気になった5作品の中からですと、ヴィゴ・ヨハンスンとピーザ・スィヴェリーン・クロイアが「スケーイン派」の画家になります。
気になった5作品(ハマスホイ以外)
アンズダケの下拵えをする若い女性《ピーダ・イルステズ》
《アンズダケを下拵えする若い女性》1892年
ピーダ・イルステズ
デンマーク国立美術館蔵
「北欧のフェルメール」を求めて足を運んだ僕にとって、一番にビビッときた作品でした。
もう完全にフェルメールですよね。
画面構成や、窓から入る光、女性の黄色の服なんてフェルメールの《手紙を書く女》に登場する女性の上着を思い出させます。
描いたのはピーダ・イルステズ(Peter Ilsted、1861-1933)という画家です。
この方はハマスホイの妻イーダの兄にあたる人です。
(ハマスホイからみて義理の兄という事ですね)
ピーダ・イルステズは1861年にデンマークで生まれました。
17歳で王立美術アカデミーに入学し、5年後の1883年にシャロデンボー春季展でデビューしました。
初期の頃は肖像画と風俗画が主に手掛けてますが、1890年代後半には義弟ハマスホイ同様に室内画を描くようになります。
描かれている女性はピーダ・イルステズの妻のインゲボーです。
今回の展覧会に出展されているハマスホイ作の《三人の若い女性》(cat. no. 63)でも彼女の姿が描かれています。
今回の展覧会では、ピーダ・イルステズの作品を3点見る事ができます。
正直僕は、ハマスホイよりもこのピーダ・イルステズの方が好みでした。
彼の作品の方が画面が全体的に明るく、作品の中に原色も入っており、画面にメリハリがあって良かったです。
むしろピーダ・イルステズの方が「北欧のフェルメール」なんじゃないかと思いましたね。
実際に晩年のインタビューでは、「自分に室内の芸術を教えてくれたのは、まさに古いオランダの画家たちでした」と語っているので、当然フェルメールの影響も受けていると考えられます。
また、この作品が描かれたのは1892年ですが、ハマスホイがオランダ絵画の影響を受けた室内画を描き始めるのは、これより遅い1890年代後半なので、こちらのピーダ・イルステズがハマスホイに影響を与えた可能性も考えられます。
《きよしこの夜》ヴィゴ・ヨハンスン
《きよしこの夜》1891年
ヴィゴ・ヨハンスン
ヒアシュプログ・コレクション蔵
このようにクリスマスツリーの周りを、手をつなぎ歌ったり踊ったりするのは今も続く伝統的なデンマークの風習だそうです。
素敵な光景ですね。
描いたのは、コペンハーゲン出身のヴィゴ・ヨハンスン(Viggo Johansen、1851-1935)です。
スケーイン派を代表する画家の一人です。
この作品にも見られるように、妻と6人の子供をモデルにした家庭的で温かみのある情景の作品を描きました。
この作品で描かれているのは、1890年12月24日のクリスマス・イヴのヨハンスン家の光景です。
ヨハンスンの妻と彼女の幼馴染、そして夫婦の6人の子供たちがツリーを囲んでいます。
輪になっている様子から見ると、ツリーの真後ろにも人がいる感じがしますね。
もしかすると作者のヨハンスン自身かもしれませんね。
《居間に指す陽光、画家の妻と子》ヴィゴ・ピーダスン
画像出展元:展覧会公式図録より
これも良い作品でしたね。
幼子の無邪気な仕草と、その子を見つめる母の視線。
そこに優しく差し込む陽の光。
見ているこちらも思わず笑みがこぼれるような、そんな作品です。
こんな光景が写真にせよ絵にせよ残せたら、一生家に飾っちゃうんだろうな、なんて思いました。
作者のヴィゴ・ピーダスン(Viggo Pedersen, 1854-1926)はコペンハーゲン出身の画家です。
父親のヴィルヘルム・ピーダスンはアンデルセン童話の挿絵画家として活躍しました。
ヴィゴ・ピーダスンは、1871年に王立美術アカデミーに入学し、1876年にシャロデンポー春季展でデビューをします。
その後1878年にアカデミーを卒業しています。
ヴィゴ・ピーダスンは、時代によって画風が異なる作品を残しています。
この作品が描かれたころ(1880年代後半)は印象派の光の表現を取り入れています。
この作品の主題は、まさに「絵に描いたような家庭の幸福」そのもので、当時のコペンハーゲンの人が求めていたイメージです。
そして現代の私たちが見ても、まさに「幸せな瞬間」と思える、そんな一枚です。
《詩人ホルガ・ドラクマンの肖像》ピーザ・スィヴェリーン・クロイア
画像出展元:展覧会公式図録より
「ザ・印象派」といった作品ですね!
ちょっとタッチが粗すぎるのも逆に僕は好きでした。
モデルのホルガ・ドラクマンは画家、そして文学運動の担い手として知られています。
定期的にスケーインに足を運び、画家のクロイアと交流しました。
この作品はより大型の作品のための油彩スケッチだと考えられていますが、その作品は現在所在が分からなくなっています。
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア(Peder Severin Krøyer、1851-1909)はノルウェーで生まれ、幼少期をコペンハーゲンで過ごしました。
彼もまた「スケーイン派」を代表する画家の一人です。
彼の画風はアカデミックなサロン絵画と印象派の最先端の絵画の両方を吸収したもので、国際的に高い評価を得ていました。
また、「芸術家たちの自由研究学校」ではハマスホイにも指導をしていました。
1882年にスケーインを訪れて以降、この地と他の画家たちとの交流を気に入り、その後毎年訪れるようになっていきます。
こちらは、ピーザ・スィヴェリーン・クロイアの代表作、《Hip, Hip, Hurrah!》です。
すごく良い作品ですよね。
コマーシャルとかに使えそう!
クロイアはスケーイン派の象徴的な画家として、また19世紀末のデンマークを代表する画家として広く知られるようになります。
《花咲く桃の木、アルル》クレスチャン・モアイェ=ピーダスン
画像出展元:展覧会公式図録より
タイトルや解説を見る前に、「なんとなくアルルっぽいなぁ」と思っていたので、まさかの的中でびっくりしました。(笑)
この展覧会で、ゴッホやアルルの名称を見るとは思いませんでした。
作者のモアイェ=ピーダスンはアルルでゴッホと意気投合して数カ月滞在していました。
ゴッホの作品にも本作によく似た《桃の木(マウフェの思い出に)》という作品があります。
位置関係もさほど変わらない本作とゴッホの作は、それぞれ描いた位置も数メートルほどしか変わらないほどです。
ゴッホの影響を受けたと言われれば、「なるほど」と頷ける色彩ですが、これは同時代のデンマーク美術の中では異質ともいえます。
クレスチャン・モアイェ=ピーダスン
この作品を描いたクレスチャン・モアイェ=ピーダスン(Christian Mourier-Petersen、1858-1945)は、ユラン半島東部、ラナス近郊の地主の家に生まれました。
《花咲く桃の木、アルル》の制作時には同地でゴッホと親交を深めましたが、パリでも印象派の画家たちと交流し、特にロートレックとは親しかったといいます。
室内画や肖像画、風景画の傑作を残しました。
また、ロイヤル・コペンハーゲンの下絵画家としても活動していました。
さいごに
いかかでしたでしょうか、「ハマスホイとデンマーク絵画」の感想レポートでした。
意図せずかなりなが~いブログになってしまいました(笑)
最後までご覧頂きありがとうございました。
コメント
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