(前ブログ「masayaのブログ美術館」からのリライト記事になります)
こんにちは、masayaです。
当ブログ「masaya’s ART PRESS」をご覧頂きありがとうございます。
今回は上野の東京国立博物館で2019年11月24日まで開催された「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」について、事前に知っておくと役立つ基本情報をまとめました!
「正倉院展に行きたいけど実はよくわからない・・・」
「基本的な情報をおさらいしたい!」
という方には役立つかと思いますので、是非最後までご覧ください(^^♪
「正倉院」という名前について
まずは「正倉院」という名称についてまとめていきます。
私たちがよく言う「正倉院」ですが、じつは正式名称は
「正倉院正倉」
といいます。
先ずは言葉の意味から見ていきましょう。
「正倉」という言葉には、大事な品物収納しておく倉という意味があります。
この「正倉」という言葉はかつては普通名詞として使われており、今の我々が言う「正倉院」以外の倉にも一般的に使われていた単語でした。
そして「正倉院」というのは、その正倉が置かれた区画(エリア)の事で、こちらもかつては東大寺以外にも国や地方、また興福寺といった諸寺にも置かれていました。
そして同様に普通名詞として使われていたのです。
しかし時代が進むにつれ、今の「正倉院」以外が無くなっていき、結果として東大寺の「正倉院」のみとなり、固有名詞化しました。
東大寺は御存知の通り、奈良の大仏様がいらっしゃるお寺ですね。
高校の修学旅行で大仏様は見た記憶はあるのですが、
正倉院は全く記憶にありません。。。なぜ?!
正倉院はその大仏殿から北西に300メートルの所にあります。
正倉院の造り
正倉院の詳細な建立時期は不明ですが、8世紀の中頃(西暦756年前後?)に造られたと考えられており、校倉造り(あぜくらづくり)でできています。
私たちがよく目にする正倉院の正面は東向きで、後ろが西を向いています。
正面から見ると、扉が3つありますが、実はこの扉ごとに正倉院の内部は三室に分かれています。
私はてっきり、内部は横に突き抜けていて、横に広い倉庫みたいなものだと思っていました。
それぞれの部屋には名前が付けられており、
右側から北倉(ほくそう)、
中倉(ちゅうそう)、
南倉(なんそう)
となっています。
正面が東を向いているから、とセットで考えれば覚えやすいですね。
およそ900点といわれる正倉院の宝物はこの三室に分かれて納められていました。
現在、正倉院宝物は正倉院の中には保管されておらず、昭和の時代に建設された「西宝庫」と「東宝庫」にそれぞれ納められています。
北倉・中倉・南倉について
「正倉院=聖武天皇のゆかりの宝物」というイメージが強いですが、
実は聖武天皇ゆかりの宝物が納められているのは、北倉(一番右の部屋)だけなのです。
例えば、正倉院宝物の中でも最も人気のある「螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんびわ)」は聖武天皇愛用の品なので、北倉に納められています。
画像出展元:正倉院ホームページより
真ん中の中倉には「造東大寺司(ぞうとうだいじし)」(=東大寺のような国家事業としての大寺院の建造を指揮する組織)に関する品々が納められており、文書や文房具、武器等があります。
一番左の南倉には、東大寺の行われた法要で使われた品々が納められています。
有名な品でいいますと、大仏開眼供養会の伎楽面などです。
画像出展元:正倉院ホームページより
正倉院展ではどの宝物が、どの倉に納められているのか分かるように、倉の名前と番号が記されています。
(例えば、螺鈿紫檀五弦琵琶ですと、【北倉29】となっています)
倉の情報を頭に入れておけば、どういった由来の品かが分かるのです。
全ての宝物が聖武天皇の愛用の品というわけではないのです。
僕がてっきりそのイメージでした。
正倉院に納められている宝物
およそ1260年前に建てられた「正倉院正倉」。
聖武天皇のゆかりの品々や、東大寺で使われた品など膨大な数の宝物が納められています。
宝物の中には、シルクロードを渡って伝来した品や唐や新羅(しらぎ)の品も含まれており、国際色豊かなものです。
しかも正倉院には残っているのに、その品が作られた地域(オリジナルの原産地)では残っていないものもあるので、そういった意味でも正倉院の宝物は貴重で、まさに「宝庫」といえます。
宝物を守ってこられた理由
正倉院の宝物が1260年の時を経ても、色褪せず現代に残っている理由。
そこには技術を制度の二つの理由がありました。
立地条件
正倉院は若草山のふもとのやや小高くなった土地に建てられています。
そうする事で、四季を通して風通しが良く、水はけが良くなるのです。
さらに雨と湿気から宝物を守るために、高床式が採用されました。
正倉院は単に東大寺の近くに建てられたのではなく、建立当初から、当時の最新の知恵を結集し長期保存に適した土地を選んで造られていたのです。
また宝物の多くは倉の中に直に置かれていたのではなく、「辛櫃(からびつ)」と呼ばれる杉で作られた箱にしまわれ、保存されてきました。
杉の特徴として、断熱性や調湿機能に優れているという点があります。
実際に一年かけて外気・倉の内部・辛櫃の内部の三か所の湿度調査が行われました。
その結果、外気や倉の内部に比べて、辛櫃の内部は安定した湿度を保っている事が分かりました。
辛櫃が宝物を大きな湿度変化から守ってきたのです。
すごいですね~。正倉院や辛櫃を作った人に教えたいですね。「1200年後も大丈夫だったよ!」って(笑)
制度
もう一つ、宝物が守られた理由は倉の管理制度です。
光明皇后が献上した宝物が納められた北倉は、天皇の許可がなければ開くことのできない勅封(ちょくふう)の倉とされ、厳重な管理が維持されてきました。
中倉と南倉は、僧綱(そうごう)(=僧や尼を統括し、諸寺を監督する組織)や東大寺によって管理される綱封(ごうふう)によってこちらも厳重に管理されてきました。
その管理体制は明治まで続き、明治8年に国が直接管理する現在の体制になっています。
また年に一度、宝物の容器を開けて換気をして、曝涼(ばくりょう)と呼ばれる虫やカビの害を防ぐ作業が定期的に行われています。
正倉院拝観と正倉院展
正倉院正倉は、平成9(1997)年に国宝に指定されました。
そして翌年には、正倉院一帯を含めた東大寺の建造物はユネスコの世界文化遺産に登録されています。
国宝にも指定されている正倉院正倉ですが、こちらの外観を見るだけなら無料です。
東大寺の大仏殿から歩いて5分ほどの所にあり、現在は宮内庁正倉院事務所が管理をしています。
公開日時は、月曜~金曜日(土日はお休み( ;∀;))の午前10時~午後3時(閉門時間早い( ;∀;))となっております。
(サラリーマンは有給でも取って行くしかないですね!笑)
また、奈良国立博物館では毎年「正倉院展」が行われています。
2019年は第71回になります。
時期は10月の下旬から11月中旬で、毎年その年の夏頃に日程が発表されるとのことです。
2020年の「正倉院展」が楽しみですね。
(コロナウイルスの影響でなくならないのを祈るばかりです・・・)
今回はここまでです。
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最後までご覧頂きありがとうございました(*^-^*)
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