続いてご紹介するのは、京都市の左京区にある永観堂(えいかんどう)です。
秋には紅葉が綺麗なことで有名で、別名「もみじの永観堂」とも呼ばれます。
永観堂には貴重な美術品もありますのでそちらを取り上げていきたいと思います。
ちなみに「永観堂」というのは通称で、正式名称は「禅林寺(ぜんりんじ)」と言います。
それではなぜ永観堂というのでしょう?そういう名前のお堂があるのでしょうか?
実はその名前の由来には、こちらに納められている《みかえり阿弥陀》と深い関係がありますので、そのあたりもご紹介していきます。
最後まで是非ご覧ください。
《みかえり阿弥陀》様をご紹介する前に、永観堂が所蔵する寺宝(じほう)の数々をご紹介していきます。
重要文化財《釈迦三尊像》室町時代
画像出展:じゃらんNetより
永観堂は現在は浄土宗のお寺ですが、長い歴史の変遷を歩んできたこともあり、寺宝(寺のお宝)のバリエーションがとても豊かといった特徴があります。
画像出展:永観堂ホームページより
こちらの仏画は永観堂の寺宝展(年に一度*現在は終了している)に出品されていました。
画面中央に見えるのがお釈迦様。
向かって左側で象に乗っておられるのが普賢菩薩(ふげんぼさつ)様。
右側で獅子にお乗りなのが文殊菩薩(もんじゅぼさつ)様です。
画中に「狩野越前守元信 六十五歳」とありますが、狩野元信の真筆ではなく工房作と考えられています。
なので「伝・狩野元信筆」とされています。
岩の描き方はまさに「ザ・狩野派」という描き方です。
皴法(しゅんぽう)と呼ばれる技法を用いています。
こちらの作品は重要文化財にも指定されています。
普賢菩薩様(向かって左側)は髭を生やした男性の姿で描かれています。
室町時代以降、中国から禅宗が入ってくると、その影響を受け、あたかも人間のような御姿で描かれる事が増えていきました。
この作品にもその影響が現れていると考えられます。
《竹虎図》伝・長谷川等伯、桃山時代
画像出展:永観堂ホームページより
《松林図屏風》を描いたことでも知られる長谷川等伯の一門、長谷川派が描いた《竹虎図》です。
こちらは永観堂の釈迦堂、虎の間の襖絵です。東面と南面の八面から成ります。
(画像では見えていませんが)
竹藪の奥から川の水が流れてきて、岩に叩きつけられています。
そこで水しぶきが上がり、それに驚いた虎が身を反らしています。
虎の表現は躍動感にあふれ、生き生きと描かれているのが特徴です。
長谷川派のライバルである「狩野派」の虎というと、カッと目を見開いて、威嚇するような堂々とした佇まいが特徴ですが、「長谷川派」の虎は動きがあり、よく見ると猫のように可愛らしい所があります。
南面の方の襖(画像の二面)には、睨みあう虎が描かれています。
こちらの虎も躍動感いっぱいに対峙しますが、その一方で東面から流れてきた水流は穏やかになっています。
その激しい虎の様子と穏やかな水流のコントラストがこちらの襖絵の特徴です。
《松水禽図》《楓雉子図》
画像出展:共に永観堂ホームページより
こちらは大変ユニークな取り合わせになっています。
「松の間」という部屋の襖絵ですが、全八面の内、六面が「松水禽図」で二面が「楓雉子図」になっており異なる襖絵があたかも自然の取り揃えられています。
ちなみに「松水禽図(まつすいきんず)」は狩野派の作品で、「楓雉子図(かえできじず)」が長谷川派の作品となっており、仲の悪かった二つの画派の作品が入り混じっているという事になります。
特筆すべきは「松水禽図」です。
「松水禽図」は四面と二面の六面から成りますが、それらが続いて描かれていないのです。
本来一連の作であれば、続いていないとおかしいのですが、四面と二面の部分が続いていません。
これは一説には「松水禽図」は最初は全部で四面と四面の八面あり、何らかの理由で他の二面がなくなってしまったと。
そこで偶然余ってた長谷川派「楓雉子図」の二面をそこに足したというのです。
この二作品は描かれた時代も異なっており、「松水禽図」は江戸時代に、「楓雉子図」は桃山時代に描かれています。
建物自体は江戸時代に造られているので、「松水禽図」は創建に合わせて描かれ、その後何らか理由で無くなった二面に「楓雉子図」が当て込まれたのでしょう。
しかし上手く組み合わせたもので、パッと見では違う2枚だとは分かりません。
本堂・阿弥陀堂
こちらの御堂は慶長12年(1607年)大阪・四天王寺の曼陀羅堂を移築したものになっています。
また現在の御堂の梁は柱は、四天王寺時代の彩色を復元したもので大変鮮やかな色になっています。
重要文化財《阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀)》平安後期~鎌倉前期
画像出展:永観堂ホームページより
お顔が正面向きではなく、後ろを振り返った御姿の珍しい仏様です。
みかえり阿弥陀のエピソード
この阿弥陀様には次のようなエピソードがあります。
第七代の住職の永観律師(ようかんりっし)が念仏を唱えて修行している時に目の前に現れた仏様だと言われています。
画像出展:永観堂ホームページより
ある日永観律師が阿弥陀様の周りを念仏を唱えながら周っていると、ふと自分しかいない御堂の中に他の誰かの気配を感じます。
永観律師が驚いてハッと足を止めると、目の前に阿弥陀様がいらっしゃり、振り向きざまに
「永観おそし」
と仰いました。
「おそし」というのは、「遅いぞ!」というよりは「何をしているのだ、私についてきなさいよ」と優しく語り掛けるいうニュアンスになります。
その後、その阿弥陀様が須弥壇(しゅみだん)上にいらっしゃった阿弥陀様だと気づいた永観律師は
「どうぞその御姿のまま須弥壇にお戻りください」とお願いしたところ、
「分かりました」と仰って今もなおその姿でいらっしゃるというのがエピソードです。
「永観堂」という名前は、その永観律師の名前が由来となっています。
永観律師が修行された当時の御堂は現存しませんが、今は江戸時代に造られたお堂のなかに阿弥陀様はいらっしゃいます。
御像の特徴
こちらのお像は平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて造られたと考えられています。
永観律師が生きた時代は平安時代中期なので、それよりも少し後に造られたことになります。
作者は分かっていませんが、非常に完成度の高い阿弥陀様なのでかなり腕の立つ仏師の作だと考えられます。
正面から見ると、阿弥陀様は振り返っているのでお顔を見る事はできませんが、お顔の見える左側からお参りすることができます。
そちらから見ると、なんとも言えない慈悲深い表情をされているようです。
こういった振り向いた御姿の仏様は大変珍しいですが、似た作例は他にも見られます。
しかし、その中でもこちらの阿弥陀様《みかえり阿弥陀》はかなり時代が古く、また一番と言って良い程完成度が高いです。
このお像が作られた頃というのは、日本では異形の仏様が多く造られた頃でもありました。
この《みかえり阿弥陀》もそのような流行の中で造られたと考えられます。
コメント
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