2020年2月8日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【恋人たちのいる名画】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
本日2月14日はバレンタインデーという事で、パート1に引き続き、恋人たちが描かれた名画をご紹介していきます。
パート1はこちらから☟☟
【アートステージ】恋人たちのいる名画①【美術番組まとめ】
《ラファエロとラ・フォルナリーナ》アングル
《ラファエロとラ・フォルナリーナ》1814年
ドミニク・アングル
アメリカ、フォッグ美術館蔵
マントを身に纏った豪華な装いの男性と、その肩に手を添えてこちらを見つめる女性。
お互いの恋人に寄せる信頼感が、キャンバスからは感じられます。
恋人を抱きしめる男性の手元よく見ると、絵筆が握られています。
この男性、じつはルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティなのです。
そのヒントとなる彼の作品が画面右奥に立てかけられています。
この作品、どこかで見覚えはありませんでしょうか。
《椅子の聖母》1515-1516年頃
ラファエロ・サンティ
ピッティ絵画館蔵
ラファエロが描いた傑作《椅子の聖母》です。
そのラファエロの直ぐそばでこちらを見つめる女性は、ラファエロ最愛の恋人、ラ・フォルナリーナです。
《椅子の聖母》の聖母マリアのように、大きな瞳と柔らかな微笑をしています。
”ラ・フォルナリーナ”はじつはあだ名で、本名はマルゲリータ・ルティといいます。
ラファエロ行きつけのパン屋の娘で、「ラ・フォルナリーナ」は”パン屋の娘”という意味があります。
ラファエロはこの作品からも分かるように、絵の才能だけでなくルックスも良かったといいます。
そして恋多き男でもありました。
そんな彼が最も愛した女性がこのマルゲリータ・ルティでした。
ラファエロはマルゲリータをモデルにした肖像画も残しています。
37歳で亡くなるラファエロが最晩年に描かれた作品です。
《ラ・フォルナリーナ》と題されたその作品では、マルゲリータは裸同然の姿で描かれています。
この時代に聖書は神話の人物ではない、一般の女性の裸を描くことは考えられない事でした。
おそらくラファエロは人前に発表する作品としてではなく、自分の手元に恋人の姿を残すために描いたのだと考えられます。
実際にラファエロはこの作品を死ぬまで手元に置いておきました。
ドミニク・アングル
この作品を描いた画家、アングルにも触れておきましょう。
本名をジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres)といいます。
アングルは19世紀にフランスで活躍した新古典主義の画家です。
端正な形式美を追求した彼は、この絵のモデルでもあるラファエロの追従者でした。
アングルは尊敬してやまない巨匠の思いを、絵の中で形にしたのです。
バレンタインデーの起源
それでは最後にバレンタインデーの起源について、ご紹介していきます。
今では「好きな人にチョコをあげる」というイベントとなっていますが、そもそもどんな日なのかご存知ですか?
実はこちらの絵の人物、聖ウァレンティヌス(あるいはヴァレンタイン)という聖人にちなんでいます。
彼は恋人の守護聖人と言われています。
では、なぜそのように呼ばれるのでしょう。
聖ウァレンティヌスは3世紀に実在した人物で、キリスト教の殉教者です。
*以下諸説あります
時は3世紀のローマ。
ローマ帝国皇帝のクラウディウス二世は、兵士たちの結婚を禁止しました。
その理由は、家族や恋人がいると、愛する人がいる事で戦場へ行く事を躊躇するのでは、と考えたからです。
なのでその迷いが生じないようにと、結婚を禁じてしまいました。
そこで司祭のウォレンティヌスは、恋人同士が結ばれずに悲しむのを見て心を痛め、密かに兵士たちの結婚を執り行ったのです。
つまり、ウォレンティヌスは恋人たちの味方だったわけです。
しかし、その行いが皇帝の耳に入ります。
その結果ウォレンティヌスは処刑されてしまい、その日が2月14日だったいうことなのです。
決してハッピーな日ではなかったのですね。。。
聖ウォレンティヌスがいなかったら、多くのカップルが結ばれず悲しんだ事でしょう。
彼がいたおかげで当時のカップル達は結ばれました。
だから「恋人の守護聖人」なのですね。
最後までご覧頂きありがとうございました(^^♪
素敵なバレンタインデーを☆彡
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