2023年4月2日にNHKにて放送された「日曜美術館」の【重要文化財の秘密 知られざる日本近代美術史】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事では【彫刻・工芸】の作品についてまとめていきます。
高村光雲《老猿》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
続いての作品は高村光雲の《老猿(ろうえん)》という作品です。
こちらも非常に有名な作品ですね!
重要文化財には1999年に指定されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
手元には鳥の羽根が、強い力で握りしめているのが伝わってきます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
空を見上げる目と顔は威厳と迫力に満ちています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《老猿》は1893年に開催されたシカゴ万博のために製作されました。
国が直々に高村光雲に製作を依頼したのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
高村光雲は1852年、東京で町人の家に生まれます。
11歳のとき仏師の元で伝統的な彫刻技法を学びます。
その後光雲は積極的に西洋の美術を学び、それを作品に取り入れ、新しい木彫作品を生み出しました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
目の部分には黒い鉱物が埋め込まれていますが、これは仏像彫刻で見られる表現です。
これにより、まるで本当に生きているかのような迫力が出るのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《老猿》が重文指定されたのは1999年ですが、その約30年前の1967年にも重文の候補となっていました。
もしこの時に指定を受けていたならば、”明治の彫刻作品として初めての重要文化財”になるところでした。
しかしこの年に重文指定されたのは荻原守衛(おぎわらもりえ)の《女》という作品でした。
画像出展元:wikipedia「荻原碌山」より
荻原守衛は明治期にパリで本格的に近代彫刻を学んだ彫刻家で、あのロダンの元でも修業をしていました。
解説の大谷省吾氏は「《女》という作品が選ばれること自体は納得できる」と言います。
では何故、高村光雲の《老猿》は重文にならず、荻原守衛の《女》が重文になったのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その理由は、光雲の作品がロダンに代表される西洋の近代彫刻の概念から少し外れたもの、とみなされたからです。
日本には”置き物”という伝統があり、それはそれで素晴らしいものでしたが、西洋の美術の鑑賞とは少し離れたものという捉え方があったのです。
《老猿》は”美術”と”工芸”の中間のような立ち位置として見なされたため、当時は重要文化財の指定にならなかったのです。
またこれは「西洋の方が優れている」という考えが単にあったわけではなかったといいます。
当時の日本はいわば”敗戦国”として、世界の文化のテーブルにどのように着くかというのが課題として出ていました。
その時に「日本の昔からの伝統を推していくのか」、それとも「世界的な評価基準に則るのか」ということが議論になっていたのです。
鈴木長吉《十二の鷹》
工芸作品でも重要文化財に指定されている作品があります。
しかしこの工芸の分野は、明治以降の美術で最も評価が遅れているといわれています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
鈴木長吉作《十二の鷹》。
この作品が重文指定されたのは2019年で、ごく最近です。
こちらの作品も先ほどの《老猿》と同じく、1893年に開催されたシカゴ万博に出品されました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
鷹はそれぞれ金色や銀色など、色とりどりに表されています。
その緻密さからシカゴ万博では最も高い評価を受けました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
天才金工家と呼ばれた鈴木長吉。
長吉には重要文化財の指定を受けた作品がもう一つあります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
それがこちらの《鷲置物》です。
こちらもシカゴ万博に出品されました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらが重要文化財の指定を受けたのは2001年。
工芸の分野で初めての重要文化財でした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
一方《十二の鷹》はその18年後、2019年に重文指定されます。
なぜ同じ作者、同じシカゴ万博に出品されたこの2作がそれぞれ違うタイミングで重文指定となったのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
じつは《鷲置物》の方は鈴木長吉が一人で製作したものでしたが、《十二の鷹》は鈴木長吉のディレクションの元、様々な分野の職人たちによる合作だったのです。
製作に関わった職人は総勢24人。
長吉も製作を行う一方、作品を完成に導く監督的役割も果たしたのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この”複数人で制作されたこと”が重文指定の遅れた理由だと解説の大谷氏は言います。
しかし過去の制作方法を見ると、例えば絵画の分野でいえばあの狩野派も、トップ絵師の支持の元で複数人で作品を仕上げることが多々ありました。
それが近代になると「個人の一人による製作が一番良い」と見なされ、複数人による合作はそれよりも下に見られるようになったのです。
さいごに
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
明治以降の製作された美術品で、現在重要文化財に指定されているのは68件。
国宝については今のところ0件です。
「何を基準に日本の近代美術を評価し、保護していくのか」
これからも議論は続いていきます。
今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。