2023年11月19日にNHKにて放送された「日曜美術館」の【北宋絵画 ベールを脱ぐ中国芸術の最高峰】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事はパート2になります。
※パート1の記事はこちらからご覧ください☟
【日曜美術館】北宋書画精華①【美術番組まとめ】
北宋絵画を収集した日本人
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
今回の展覧会(特別展『北宋書画精華』)で展示されている北宋絵画は、いずれも日本の美術館やコレクターが所蔵しているものです。
山本悌二郎
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
三重県四日市市にある澄懐堂(ちょうかいどう)美術館。
パート1のブログで紹介した《喬松平遠図》はこの美術館が所蔵しています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
澄懐堂美術館はある一人の美術収集家が集めた作品を納めるために造られました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その美術収集家とは山本悌二郎(やまもと ていじろう)です。
台湾で製糖業を手掛け、成功を収めた実業家です。
山本は中国各地に足しげく通い、中国書画の収集を行っていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
やがて義和団事件や清朝の滅亡という時代の変化を目の当たりし、山本の収集熱はさらに高まります。
その目的は清朝の文物が欧米諸国に流れていくことを防ぐためでした。
「アジアで中国の文物を守りたい。アジアのものはアジアで残したい」
その思いが山本だけでなく、日本の財閥たちにもあったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
山本自身が作ったコレクションの目録が残っています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1,176件のコレクションの中で、その筆頭に記載されているのが《喬松平遠図》です。
この作品がいかに重要な作品であったかが分かります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
やがて山本のコレクションは、第二次世界大戦の戦火を避けるため四日市市に移されます。
それがきっかけとなり、この地に澄懐堂美術館がつくられたのです。
阿部房次郎
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
燕文貴の《江山楼観図巻》。
この作品は清朝の滅亡のタイミングで、大正時代に日本へもたらされました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この絵を所蔵していたのが東洋紡績株式会社の社長を務め、関西経済界の重鎮でもあった阿部房次郎です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
阿部房次郎が収集した作品から選りすぐった160点の作品は、大阪市立美術館に寄贈されました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
阿部房次郎の収集に際し、その助言をしたのが中国史家の内藤湖南(ないとう こなん)でした。
内藤は実際に中国で美術作品に触れ、中国美術史にも精通。北宋絵画の重要性にいち早く着目したのも内藤でした。
それまでは南宋絵画が重要視されており、”日本にある宋画=南宋絵画”でしたが、「見たことがない北宋絵画がある。それが欧米に渡ってしまおうとしている」という状況下で、内藤は新たな絵画史の可能性を提示したのです。
そして阿部房次郎ら財界人と協力し、日本に中国の名品をもたらすことに貢献しました。
二代 黒川幸七
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
黒川幸七は証券会社の2代目社長で、彼もまた中国の美術品や骨董品を日本にもたらしました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
黒川のコレクションは現在兵庫県の黒川古文化研究所に収められています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
黒川もまた内藤湖南と交流していく中で、中国美術の見識を深めていきました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《寒林重汀図》は大正15年、中国の所蔵家が手放したのち日本に伝来し、後に黒川が購入しました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
購入した際の領収書が残されており、その金額は1万8000円であったと記載されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《寒林重汀図》を収めた箱。
内藤湖南が箱書きを書きました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
箱の裏には内藤湖南が初めて《寒林重汀図》を目にした時の感動が書かれています。
国宝《古今和歌集序(巻子本)》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
展覧会には北宋時代の作品だけでなく、平安時代の貴族による日本の作品も展示されています。
それが国宝の《古今和歌集序(巻子本)》です。
「古今和歌集」の写本で11世紀から12世紀頃、北宋と同じ時代に作られました。
しかし北宋絵画の展覧会に、なぜ日本の作品が展示されているのでしょうか?
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
じつはこの写本に使われた紙が中国で作られた北宋時代の紙なのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
さらによく見ると紙に絵画のような文様が施されています。
平安貴族は当時中国から紙を輸入して使っていたのです。
また近年の研究で、北宋の文人たちも北宋産の紙で書を残していたことも分かりました。
平安貴族にとって北宋は一つの憧れの対象だったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ただ単に中国・北宋産の紙を使った品というだけではなく、ここには「北宋の文人の営みに倣う」という平安貴族の思いもあったのです。
今回の記事はここまでです。
次のパート3では展覧会の目玉、李公麟(り こうりん)の作品についてまとめていきます。
次の記事はこちらから☟
【日曜美術館】北宋書画精華③【美術番組まとめ】
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[…] 今回の記事はパート3になります。 ※前回のパート2の記事はこちらから☟ 【日曜美術館】北宋書画精華②【美術番組まとめ】 […]