【アートステージ】シュルレアリスム絵画【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2020年2月1日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【古賀春江と三岸好太郎 戦前日本の「シュール」な絵画】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけではなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

今回は「シュルレアリスム絵画」についてです。
特に代表的な古賀春江三岸好太郎について取り上げていきます。

見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。

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《海》古賀春江

古賀春江(1930年撮影)

画像出展:wikipediaより

古賀春江(1895~1933)は日本のシュルレアリスムの先駆者と呼ばれています。
春江(はるえ)という名前から女性を連想しがちですが、男性です


《海》1929年
古賀春江
東京国立近代美術館蔵

こちらは彼の代表作《》です。
1929年に発表されたこの作品は、日本初のシュルレアリスム絵画とも言われています。

一目見て、「変わった作品だなぁ」と思いませんか?
先ずは描かれている物を一つずつ見ていきましょう。

一番に目が行くのは、片手を高々と挙げ、天を指さす水着姿の女性。
着ている水着は当時の流行のものです。
実はモデルがいて、当時活躍したハリウッド女優のグロリア・スワンソン(1899-1983)のグラビア写真を元にしています。

画面中央では魚たちが自由に泳いでおり、海底にはサンゴ礁も見えます。
同じ海底にはなぜか内部がむき出しの潜水艦が描かれています。
潜水艦はこの当時の最新の乗り物です。
けれども海面に浮かぶ小さな帆船は、昔ながらのものです。

画面左側には機械仕掛けの工場が。
これは埋め立て地を表しているのでしょう、海にせり出すように描かれています。

現実なのか虚構なのか、自然物と人工物が共存する不思議な世界です。

古賀は雑誌などに掲載されていた写真をコラージュするようにして、この作品を構成しました。
宙に浮かぶ飛行船は当時の科学雑誌を参考にしています。

まさに「シュール」と言える作品ですね。

キャンバスにはどこかノスタルジックな雰囲気が漂います。

古賀はフランスのシュルレアリスムに学びながら、それとは一味違う独自の世界を生み出しました。

シュルレアリスムとは

日本に「シュルレアリスム」と呼ばれる前衛的な芸術が生まれたのは、西洋画が日本に入ってきて約50年が経過した昭和初期の事です。
日本には西洋からリアルタイムで伝わり、当時の若い画家に強い刺激を与えました。

多種多様なイメージの唐突な組み合わせが生み出す不思議な世界。
シュルレアリスムは別名を「超現実主義」と呼ばれるように、その狙いは「現実を超えたもう一つの世界」を表現する事でした。

今日私たちが日頃使う「シュール」という言葉は「シュルレアリスム」がその語源です。

あのダリなど輩出した事でも知られるシュルレアリスム
それがフランスで産声を上げたのは、「海」制作されるわずか5年前、1924年の事です。

「シュルレアリスム宣言」アンドレ・ブルトン

発端はフランスの詩人、アンドレ・ブルトンが発表した「シュルレアリスム宣言」でした。
この宣言でブルトンは、詩や芸術の目的は「理性を超えた無意識の世界の探求」であると提唱しました。
そして常識に捉われない前衛的な詩を発表したのです。

つまりシュルレアリスムというのは、元々は文学の世界から始まったものなのです。
そしてそれが絵画の世界にも飛び火し、一大旋風を巻き起こしたのです。

日本への影響

その一大ムーヴメントは日本にもリアルタイムで伝わりました。
これは日本が初めて西洋の同時代の芸術とリンクした事になります。

明治になり初めて西洋文化が流入してきて、そう間もない時期という事を考えるとその吸収力には目を見張るものがあります。

《雲の上を飛ぶ蝶》三岸好太郎


《雲の上を飛ぶ蝶》1934年
三岸好太郎
東京国立近代美術館蔵
澄み渡った青空にわきたつような白い雲。
そこを無数の蝶々が舞っている、なんとも幻想的な作品です。

描いたのは戦前に活躍した洋画家、三岸好太郎(みぎし こうたろう)です。

「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」

安西冬衛の詩「春」より引用

この作品は安西冬衛(1898-1965)のこの詩を連想させます。

「てふてふ(蝶々)」という柔らかい語感と、「韃靼海峡(だったんかいきょう)」という強い語感のぶつかり合いが面白いこの詩。
作者の安西冬衛もじつはシュルレアリスムの影響を受けた詩人です。

画像出展:Googleマップより

余談ですが韃靼海峡とは、上の地図のこの辺だそうです☝

《雲の上を飛ぶ蝶》に話を戻しましょう。
この作品を描いた三岸は、この詩を元にしたというわけではありません。

前衛芸術に見られがちな奇抜さではなく、
どこか日本的な抒情性を感じさせる味わい深い作品です。
単に西洋の発想を模倣するのではなく、日本人ならではの美の世界が構築されています。

この作品を描いた三岸は、
やっと僕も自分の絵が描けるようになった」と語ったと言います。

しかしその矢先、病に倒れて31歳の若さで亡くなってしまいます。
この作品にはどこか、そんな三岸の運命と命の儚さも表しているようです。

日本のシュルレアリスムの行く末

古賀三岸以外にも様々な画家たちが新しい表現を追求しました。

1932年に開催された「巴里東京新興美術同盟展」という展覧会には、シュルレアリスムをはじめ、キュビスム、抽象芸術などの前衛美術が紹介され、若い画家たちに刺激を与えました。
三岸幸太郎もその一人です。

1939年には福沢一郎を中心としたシュルレアリスムの画家たちが、美術文化協会を結成しました

しかし時代は徐々に太平洋戦争へと向かっていきます。
思想や社会との結びついた前衛的な芸術は、徐々に弾圧されていったのです。

「シュルレアリスムと絵画」展


《白い貝殻》1932年
古賀春江
ポーラ美術館蔵

箱根のポーラ美術館では、2020年4月5日まで
シュルレアリスムと絵画
—ダリ、エルンストと日本のシュール」』展が開催されています。

タイトルにもあります、シュルレアリスムを代表するダリエルンストの作品が展示されています。
展示作品数は、絵画や版画などおよそ100点で構成されています。

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