(前ブログ「masayaのブログ美術館」からのリライト記事になります)
2019年10月12日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ゴッホ「炎の画家」誕生以前のオランダ時代】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
前回のパート1はこちらからご覧頂けます☟☟
【アートステージ】フィンセント・ファン・ゴッホ①【美術番組まとめ】
ハーグ派との出会い
オランダ時代のゴッホのお手本となったのが、ハーグという町で活躍していた「ハーグ派」と呼ばれるグループの画家たちでした。
ハーグ派の画家たちがテーマにしたのは、フランス・バルビゾン派のミレーらと同じく、農民の暮らしでした。
画像出展元:「ゴッホ展」公式図録より
特に遠戚にもあたるアントン・マウフェはハーグ派を代表する画家であり、ゴッホにも画材の調達からその使い方まで基本的な事を教えました。
1881年から82年にかけて、絵画の基礎を本格的に教えたマウフェは、「ゴッホの唯一の師匠」としても知られています。
このマウフェによる作品、《4頭の曳き馬》では、人や馬が川岸や運河に沿って舟を曳く、曳舟道(ひみふねみち)を主題にしています。
これはオランダでは馴染み深い風景です。
ハーグ派の姿勢はこの作品のように「人物や風景をありのままに描く」というものでした。
そしてそれはオランダ絵画の伝統でもありました。
その中でも日常にありふれたものを描いた静物画は、イタリアやフランスに先立ちオランダで花開きました。
ゴッホもまた、自身もその伝統に連なる画家であることを意識した静物画の作品を残しています。
《聖書のある静物》
《聖書のある静物》1885年
ファン・ゴッホ
ファン・ゴッホ美術館蔵
*「ゴッホ展」には出品されておりません。
机の上に置かれた聖書、そこからはずっしりとした重みと存在感が伝わってきます。
もう一冊、手前に置かれた本はフランスの作家のエミール・ゾラが著した「生きる歓び」という本で、現代生活について赤裸々に描いた作品です。
ゴッホはある思いを込めて、聖書と小説を対比させました。
聖書には、牧師だったゴッホの父親。
そしてかつて聖職者を目指した自分自身の姿を重ねています。
更には、信仰の象徴であることを表しています。
一方のゾラの小説には、宗教が力をなくした時代の享楽的な生活を意味しています。
信仰に希望を見出していたかつての自分と、その道を閉ざされ画家の道を歩んだ自分の、その両方をキャンバスに表現しているのです。
実はこの作品を描く半年ほど前に、ゴッホの父親は発作をおこして急死してしまいます。
聖書の傍らに置かれた消えたろうそくは、亡くなった父親と自分の信仰心の表れでしょうか。
それから数か月後、ゴッホは生まれ故郷のオランダを離れて、フランスに向かうのです。
そしてその地で「炎の画家」のゴッホが誕生するのです。
生前に売れた作品は一枚?!
ゴッホの有名なエピソードで、「生前に作品が一枚しか売れなった」というエピソードをご存じの方も多いのではないでしょうか。
《赤い葡萄畑》1888年
ファン・ゴッホ
プーシキン美術館蔵
*「ゴッホ展」には出品されておりません。
こちらがその唯一売れた一作と言われる《赤い葡萄畑》です。
アルルに住んでいたゴッホの元に、ゴーギャンがやってきた頃に描かれた作品です。
この作品はゴッホが亡くなる5か月前に開かれた「20人会展」という展覧会に出品され、ゴッホの友人のお姉さんが400フラン(今だとおよそ10万円)で購入しました。
しかし最近の研究では、「生前に一枚しか売れなかった」というのは事実ではないという説もあるそうです。
あまり作品が売れていなかった
というのは事実のようですが。
さて、いかがでしたでしょうか「オランダ時代のゴッホ」。
「ゴッホ展」の予習・復習のお役に立ちましたら幸いです(*^^*)
コメント
[…] パート1は一旦ここまでとします。 パート2では、ハーグ派と出会ってからのゴッホについてまとめていきます(^^♪ 【アートステージ】フィンセント・ファン・ゴッホ②【美術番組まとめ】 […]