2021年10月17日にNHKで放送された「日曜美術館」の【将軍からの贈り物 フランスの古城で新発見 幕末の美】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
『源氏蒔絵箪笥』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
フォンテーヌブロー宮殿内の中国美術室。
ここに高度なメッセージが込められた江戸幕府からの贈り物があります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
それがこちらの『源氏蒔絵箪笥』。
その名の通り、日本の「源氏物語」に取材した箪笥(たんす)です。
使節団の帰国後に幕府が贈ったもので、漆塗りの豪華な造りです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
「源氏物語」の作中21の場面が描かれています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
桐の木と建物が描かれたこちらは「桐壺(きりつぼ)」の場面。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは「須磨」の場面です。
通常、源氏物語を絵画化したものは、光源氏をはじめとする登場人物が描かれます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかしこちらの『源氏蒔絵箪笥』にはどれも人物が描かれていません。
このように人物抜きで、道具や場所だけ描き、物語の場面や状況を連想させる手法を「留守模様」といいます。
「留守模様」というと、小村雪岱の代表作《青柳》もそうですね!
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『源氏蒔絵箪笥』に話を戻します。
先ほどご紹介した「須磨」の場面。ここでは源氏が雁(かり)を見て歌を詠みましたが、この蒔絵では雁だけが描かれ人の姿はありません。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
つまりこの『源氏蒔絵箪笥』は源氏物語の内容を知っていることが前提となっているのです。
では、どうして江戸幕府はこのような高度な知識を必要とする箪笥をフランスの皇帝に贈ったのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは当時既に西洋向けにつくられ、実際に輸出もされていた漆器です。
今回見つかった贈答品とは趣が全く異なっています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
外側に蒔絵が施された漆のこの箱。
じつはこれはナイフを入れるためのものだったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは江戸時代中期につくられた蒔絵の皿です。
中央にある紋章は、この皿を発注したオランダ商人の家紋です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その周囲には東海道の賑わいの様子が描かれており、依頼主が好んだ日本の絵柄がうかがわれます。
これら2つの品から分かるのは、日本の工芸でありながら、西洋人の生活や趣味に合うものを作ろうとする姿勢です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかしこの『源氏蒔絵箪笥』は違います。
こちらは源氏物語の知識がなければ、絵の意味が全く分かりません。
相手におもねることのない印象です。
「源氏物語は伝統的な最も日本の文化を象徴する美術品。ですからその源氏を描いた工芸品を贈るということ自体に、自分たちの誇りを示す、対等につきあっていける相手だと示す意味があった」(国立歴史民俗博物館教授・日高薫氏)
単に素晴らしいものを送るというだけでなく、そこに文化的な意味を江戸幕府は込めていたのです。
専門家の方々の見解
東京学芸大学名誉教授の鈴木廣之氏は、幕府は外国に対して自己アピールになると考えたものを制作していたと言います。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
今回発見された掛軸の一つ《富士春景図》。
タイトルの通り、富士山が描かれた作品です。
「富士山というのは万国一般によく知られた山だから。(中略)そういうふうに万国によく知られたものを画題に取り入れることによって自己アピールしようかっていうような、そういう考えだったのではないかな」(鈴木廣之氏)
しかしこのような幕府の意気込みや狙いが、ちゃんとヨーロッパに伝わっていたかどうかは疑問があるといいます。
パート2で取り上げた《青鳩図》や『源氏蒔絵箪笥』の留守模様は非常に高度な知識が要求されるものです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
「皇帝ナポレオン三世が果たしてこの鳩を見てですね、王権のイメージを感じたかどうか、それはちょっと分からないと思いますね。あとウージェニー皇后が『源氏物語』を知っていたかどうか、これもかなり疑問だと思います」(東京大学教授・三浦篤氏)
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
当時フランスのみならず、ヨーロッパの人々にとって日本はあくまで”極東の小国”という扱いでした。
まず大国の中国があり、その近くにある小さな国というイメージしかなかったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
文久遣欧使節団がフランスを訪れる一年前の1861年、シャム王国からの外交使節がフランス皇帝に謁見しています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
エキゾチックな装いで、その姿勢は平身低頭な印象です。
恐らくは日本の使節団が来仏した時も、フランス宮廷側はシャム王国の使節団のような姿勢・態度で来ると考えていたと思われます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかし日本の使節団はシャム王国の使節のような派手な格好ではなく、地味で落ち着いた色のシンプルな服装で現れ、且つ非常に堂々としていたといいます。
それは決して平身低頭ではなく、「ヨーロッパなどには負けない」という気概に満ちた、プライドのあるサムライの姿だったのです。
「これは彼ら(フランス宮廷側)の予測を超えてたんじゃないかなと思います。どうも東洋にはヨーロッパとは違うけれども、同じような高みにある、そういった文明がですね、あるらしいという風に使節たちの姿を見てどうも感じたらしいですね」(東京大学教授・三浦篤氏)
結果として、日本人のイメージを覆すことに成功したのです。
今回の記事はここまでになります。
次の記事のパート4でラストです!
【日曜美術館】フランスの古城で新発見 幕末の美④【美術番組まとめ】
コメント
[…] 今回の記事はここまでになります。 パート3へと続きます。 【日曜美術館】フランスの古城で新発見 幕末の美③【美術番組まとめ】 […]
[…] 今回の記事はパート4になります。 前回のパート3はこちら☚からご覧ください。 […]