【日曜美術館】フランスの古城で新発見 幕末の美④【美術番組まとめ】

日曜美術館

2021年10月17日にNHKで放送された「日曜美術館」の【将軍からの贈り物 フランスの古城で新発見 幕末の美】の回をまとめました。

今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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幕末の狩野派の絵師

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

文久遣欧使節団がフランスに持ち運んだ《紅葉に青鳩図》。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

作者は狩野友信(かのう とものぶ)という絵師です。

番組ではその狩野友信孫にあたる中尾さん
そして中尾さんの娘さんで友信の曾孫にあたる山田さんに取材していました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

ご自宅には狩野友信が描いた《武者図》がありました。
山田さんは曾祖父にあたる友信に関心を持ち、作品を集め、その足跡を調べていました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

署名は藤原友信となっている事から、奥絵師だった頃の作ではないかと山田さんはいいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

狩野友信奥絵師(江戸幕府の御用絵師の中でも最高の役職)の家に生まれます。
御用絵師として活躍した後、大政奉還をを経て、明治の末まで活躍しました。
いわば「狩野派最後の絵師」です。

御用絵師になったのは16歳の時で、贈答品の制作に抜擢されたのは18の年でした。

10代の後半っていう一番感受性の強い時ですし、やはり本当の良いものを贈ろうという、そういう意気込みが感じられますね」(山田さん)

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

山田さんの家には友信が描いた《山水図》も飾られています。
じつはこの掛軸、フランスで今回見つかった贈答品の『山水図』と瓜二つのものでした。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

フォンテーヌブロー宮殿で見つかった『山水図』を描いたのは、友信の父である狩野中信(かのう なかのぶ)。

ではなぜ親子でそっくりの掛軸を描いたのでしょう?
そこには狩野派の伝統が関係していました

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

静岡県立美術館学芸員の野田さんは、世界中の美術館にある2700点以上にのぼる狩野派の作品を網羅したデータベースを作成。
画題ごとに作例を探すことを可能にしました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

山水図』の画題で調べたところ、狩野中信友信親子の掛け軸に描かれたものとよく似た作例が見つかりました。かの有名な狩野探幽の作品です。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

「模写」というと、”真似”や”コピー”のようなイメージで、オリジナリティーとはかけ離れたような印象を受けますが、じつは近代以前の絵というのはこのように描かれることが一般的でした。

素晴らしい作品のイメージを自分なりに取り入れていくことが絶対的に必要だったことだと考えています」(野田麻美氏)

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

狩野派の絵師は確かな技術を伝えるために”模写”に重きを置いていました。
こちらのアルバムのようなものは、19世紀の初めに狩野派の当主によって、中国の古典の模写がまとめられたものです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

日本に渡った中国の名画が正確に模写され、それをさらに弟子たちが見て写しました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

その中にはあの国宝《桃鳩図》の模写もありました。

狩野派の絵師は模写を通じて絵の腕前を磨いていったのです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

この屏風では中国の名画から取り入れられた要素が含まれています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

色鮮やかな楼閣は中国・元時代の絵画を参考に。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

人物は中国・宋時代の名画から。
模写を通じて学んだ絵柄や構図をベースに、新たな自分の作品をつくりだしているのです。

発想力やオリジナリティーとは別の形で、江戸狩野派は発展のための技術を磨いた」(野田麻美氏)

明治に入ると、お抱え絵師として活躍した狩野派は、まるでリストラされたサラリーマンのごとく路頭に放り出されます。
模写を繰り返したことが、「祖先が描いた形態をただただ再生産するのみ」と取られてしまったからだと考えられてきました。

しかし野田さんは「そういった考え方自体を改めていく必要がある」といいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

その後狩野友信は、明治以降も東京美術学校で日本画の教師を務め、生涯絵筆を取り続けました。

明治になって日本画がいろいろ変わっていくわけですけれども、自分友信は狩野派の絵を守るんだっていう気持ちがあって。それはその今回の発見によって、やっぱり自分の絵は海外に贈呈品として渡んだっていう自負があったんだなぁと分かりました」(友信の曾孫・山田さん)

イントロダクション

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

文久遣欧使節団がフランスを訪れてから約10年後、第一回印象派展が開催されます。
当時フランスで流行したジャポニスム、印象派の画家たちはこれに大きな影響を受けますが、彼らが目にしたのは浮世絵版画に代表される、いわゆる「庶民美術」でした。

しかし今回見つかった贈答品は「庶民美術」ではない、いわば江戸幕府の「公式美術」です。
そしてこの公式美術は、フランスの宮廷内という”限られた世界”でしか人目に触れず、受け入れられませんでした

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

しかしウージェニー皇后はこれら日本の美術品を好んだものと考えられます。
それは皇后のプライベートルームに贈呈品の屏風や箪笥が置かれていたことから分かります。

ここにも一種の日本趣味、それはフランス宮廷における日本趣味であり、また別のジャポニスムがあったと捉えることができるでのです。

もしかしたらこれは今まで我々は全く気が付かなかったけれども、別の種類の、宮廷文化におけるジャポニスムというのが、もしかしたらあったかもしれないということは、今後の研究を考える上で面白い視点じゃないかなと思います」(東京大学教授・三浦篤氏)

今回の記事はここまでになります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでになります。 次の記事のパート4でラストです! 【日曜美術館】フランスの古城で新発見 幕末の美④【美術番組まとめ】 […]

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