【CONTACT ART】《アヴァルの門》モネ【美術番組まとめ】

CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~

2020年3月1日にwowowで放送された「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」の【#1 モネ/島根県立美術館】の回をまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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番組概要

アートを題材とした数々の小説を執筆している作家の原田マハさんが、全国の美術館を旅して、そこで一枚の絵画を紹介する美術番組です。
作品のみならず、美術館そのもの魅力やその土地のグルメや名所も紹介しています。

初回となる今回は島根県立美術館所蔵のクロード・モネ作《アヴァルの門》にCONTACTしていきます。

島根県立美術館

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」より

島根県松江市、宍道湖(しんじこ)があるこの地は水の都とも呼ばれます。

島根県立美術館は1999年3月に開館した山陰最大規模の美術館で、宍道湖の湖畔に建っています。
この美術館では「水との調和」をテーマに作品を収蔵、展示をしています。

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」より

建物に入ると目の前に宍道湖の素晴らしい光景が広がっています。

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」より

また夕陽も絶景で、「日本の夕陽百選」にも選ばれています。

まるでこの景色が一枚の絵画のようですね。

《アヴァルの門》クロード・モネ


《アヴァルの門》1886年
クロード・モネ
島根県立美術館蔵

アヴァルの門」というのは、フランスのノルマンディー地方にあるエトルタ海岸にある奇岩のことです。
モネが46歳頃の作品で、画家としても脂がのっている時期でした。

雲が空を流れて、水面の上を風が走っているようです。
風の動きや通り道が見える、動画的な作品です。

至近距離で見ると、絵具がごちゃっとしているように見えますが、それが離れて見る事で視覚的効果で立体的に見えてきます。
まさに「印象派絵画」と言える作品です。

原田マハ氏によると、「モネの作品には今まさに描きあがったようなフレッシュな感じがする」と述べています。

画家モネについて

クロード・モネ(Claude Monet、1840-1926)は印象派を代表するフランスの画家です。
彼の代表作の《睡蓮》の連作はよく知られています。

外の光の下で絵を描くという事を始めた画家の一人です。
それまでの絵画というのはアトリエで描かれるのが普通でした。

日本でも大変人気のあるモネですが、画家としては当初はなかなか認められませんでした
当時の絵画というのは、「聖書や神話の世界を美しい構図で描く」いうのが主流でした。
そして「滑らかな絵肌を追求し、筆跡は残さない」というのが絶対でした。


《春》1873年
ピエール・オーギュスト・コット
メトロポリタン美術館蔵

このピエール・オーギュスト・コットの《》のような作品こそ当時求められていた絵画でした。

しかしモネは自分が見たままに描く、そしてそれを絵具にのせて描くことで、筆の運びを画面に残しました
そしてそこに「画家の存在」を宣言したのです。


《印象、日の出》1872年
クロード・モネ
マルモッタン・モネ美術館蔵

こちらは第一回印象派展に出品され、印象派の名称の由来にもなったとされるモネの《印象、日の出》という作品です。

これまでにない画風を生み出したモネですが、当初はそれまでの絵画からかけ離れた彼の作品は認められず、「子供の落書き」とまで酷評されました。
作品も売れずに彼の生活はまさにどん底でした。


《死の床のカミーユ》1879年
クロード・モネ
オルセー美術館蔵

食料も暖房もない生活の中で、更なる不幸がモネを襲います。
モネ39歳のとき、愛妻カミーユが病気ために亡くなるのです。

そしてこの年の冬にセーヌ川が凍結するほどの大寒波が訪れます。
モネの心も筆も止まってしまいます。

しかし、これがモネにとっての転機となります。
春の訪れと共に凍り付いていたセーヌ川の水が溶けだし、流れていきます。
そこでモネは気が付くのです。
時間というものは流れており、同じ瞬間はなく刻々と風景は動いていく。
自分はその瞬間を切り取って描いていこう」と。

そこからモネの連作が始まっていきます。
連作」と聞くと同じものを描いているようなイメージになりますが、そうではなく、同じモチーフで全て違う瞬間、言うならば同じ瞬間という事がない事をモネは「連作」を通して証明しているのです。

今回の作品《アヴァルの門》の舞台となったエトルタ海岸の様子も連作として残しています。


《エトルタの嵐の海》1883年
クロード・モネ
リヨン美術館蔵

《マンヌポルト(エトルタ)》1883年
クロード・モネ
メトロポリタン美術館蔵

そんなモネの事を作家のモーパッサンは、「画家というよりは’狩人’とでも言ったほうが良いだろう」という言葉を残しています。
自分が描きたいタイミングというのをじっと待ち、その瞬間が現れた時、まるで狩人のようにさっと捕らえる、そんな姿を見て残した言葉でしょう。

その後モネの作品は認められ、86歳で亡くなるまで作品を描き続けました。

モネと日本とのつながり

日本人にとっても馴染みの深いクロード・モネ
その背景にはモネ自身が日本美術からの影響を受け、日本を愛した事があげられます。

原田氏によるとモネがモネとなるためには、日本美術との出会いが欠かせなかったと言います。

パリ万博のイラスト

画像出展元:wikipediaより

1867年に行われたパリ万博、ここで鎖国をといた日本が初参加します。
日本は美術工芸品を出品しましたが、このタイミングが西洋の人々にとっての初めての日本美術との出会いだったのです。


《ラ・ジャポネーズ》1876年(第二回印象派展出品)
クロード・モネ
ボストン美術館蔵

誰もが一度は見たことがあるこの作品からも分かるように、モネも日本美術からの影響をもろに受けています。

モネが特に影響を受けたのは「構図」であると原田氏は述べています。

日本画の「構図」というのは、画面を平気で切り抜きます。
俵屋宗達の国宝《風神雷神図屛風》を例に見てみたいと思います。


国宝《風神雷神図屏風》寛永年間頃?
俵屋宗達
京都府京都市、建仁寺蔵(京都国立博物館に寄託)

屏風の中に風神と雷神が描かれています。
もしこれが西洋画であれば、両方の神様が画面の中央に収まるように描かれます

しかし宗達の場合は、両端に極端に寄せられており、四隅が切れています。
このような「見切りの構図」が西洋の画家たちの目には非常に新鮮に映りました。

見切れている」というのはどういう事かというと、その切れている先から世界が無限に世界が広がっている事を表しているのです。
一方で画面の中に全てを納めるという事は、いわばそこで完結してしまっているのです。

モネは連作を通して、永遠などなく一瞬一瞬が全て違うという事を表現した上で、日本美術から学んだ「見切る事」で作品の中に永遠性を見出したのです。

さいごに

いかがでしたでしょうか、モネの《アヴァルの門》。
次回の#2では、同じ島根県立美術館所蔵のクールベの作品をご紹介します。

最後までご覧頂きありがとうございました。

コメント

  1. […] 《アヴァルの門》1886年 クロード・モネ 島根県立美術館蔵 *「画家が見たこども展」の出展作品ではありません この作品についての記事は☞こちらから […]

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