2020年5月17日にNHKで放送された「日曜美術館」の【ルーブル美術館 (1)すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《モナ・リザ》ダ・ヴィンチ
1516年にレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いたフランソワ1世。
共に過ごした時間は、1519年にダ・ヴィンチがこの世を去るまでの僅か3年でした。
《モナ・リザ》1503年-1519年頃
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ルーヴル美術館蔵
《モナ・リザ》はダ・ヴィンチがフランスに招かれた際に一緒に持ち込まれ内の一枚で、死の間際まで筆を入れ続けたと伝えられています。
誰もが知る名画でありながら未完の作品であり、また今日までそのモデルは諸説あり確定していません。
《モナ・リザ》の背景に広がる荒涼とした風景は、世界の成り立ちについてのダ・ヴィンチの探求といわれています。
隆起した大地は水に削られ絶壁となり、その水はやがて川となり地球に息吹を与える。
そして人の住む土地が生まれる。
《モナ・リザ》はそんな世界の始まりの光景を背にして、私たちに微笑みかけているのです。
イギリス・ヴィクトリア朝時代の批評家のウォルター・ペイター(Walter Pater、1839-1894)は《モナ・リザ》について以下のように述べています。
「彼女は自分の座を取り囲む岩よりも永く生きている」と。
ルーヴルが辿った歴史
フランソワ1世はその生涯をかけて、フランスにルネサンスを根付かせようとしました。
ルーブル城の中にイタリアで見た宮殿と同じような邸宅を築こうとしたのです。
ルーヴルはそれまでは数ある城の内の一つに過ぎませんでしたが、華麗な宮殿へとその姿を変えていきます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは「レスコー翼」はルーヴルで最も古い宮殿建築です。
その中心にはフランソワ1世が愛したルネサンス風の広間が設けられました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
それがこの「カリアティードの間」です。
ここでは舞踏会や華やかな宴が繰り広げられました。
「ルーヴル宮殿を平和と芸術の国の中心とする」
この言葉がフランソワ1世の遺言となりました。
しかし、その王の遺言は守られませんでした。
フランソワ1世が亡くなって20年後、孫にあたるシャルル9世がフランス王に即位します。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらはルーヴル美術館に展示されているシャルル9世の黄金の兜と盾です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この黄金の兜には、この時代のフランスの不穏な空気を伝えています。
そこには兵士を襲う馬の姿や、古代ローマのグロテスクな怪人の姿が表されています。
この頃フランスでは、王家が信仰する”カトリック”と新しく生まれた”プロテスタント”との宗教対立が深まっていました。
1572年8月、宗教対立の和解を目指してカリアティードの間で宴が催されました。
王の妹マルグリット・ド・ヴァロワ(カトリック)とプロテスタントの貴族との結婚です。
しかし宴のあとルーヴルに隣り合うサンジェルマン・ロクセロワ教会の鐘が打ち鳴らされます。
じつはこれがプロテスタント襲撃の合図だったのです。
逃げ惑うプロテスタントの貴族が宮廷で殺されました。
フランソワ1世が愛したカリアティードの間は、惨劇の舞台となったのです。
ここから始まったのが「サン・バルテルミの虐殺」です。
争いはフランス中に広がりました。
人々の憎しみが鎮まったのは虐殺から20年後の事でした。
新しく王位に就いたアンリ4世がプロテスタントの信仰を認めて宗教対立を終わらせたのです。
荒れ果てたフランスの立て直し図ったアンリ4世は、フランソワ1世同様に芸術の力を重んじました。
そしてその象徴こそがルーヴルだったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
アンリ4世はルーヴル宮殿の中に巨大な回廊を築かせます。
それがあの「グランドギャラリー」なのです。
王はここに画家や彫刻家などの多くの芸術家を住まわせました。
《裸のモナ・リザ》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらの作品はパリ郊外にあるコンデ美術館が所蔵する作品です。
ダ・ヴィンチの描いた《モナ・リザ》と同じくこちらに微笑みかける裸婦のデッサン画です。
通称《裸のモナ・リザ》と呼ばれるこの作品。
きめ細かな肌の陰影は木炭で表わされており、ダ・ヴィンチが用いたスフマートを彷彿とさせるようです。
この作品所蔵するコンデ美術館の調査では、ダ・ヴィンチの指導の下に彼の弟子が描いたと考えられています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
目の線に沿って無数の黒い小さな穴が開いています。
これは絵を写し取るために刺された針の跡です。
この絵は多くの画家に模写され、その結果実在の女性のヌード描くことが徐々に広まっていったのです。
ダ・ヴィンチの遺産はフランスに新たな芸術の目を育みました。
今回の記事はここまでになります。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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