2017年9月30日にテレビ東京にて放送された「美の巨人たち」の【誰もが知っていた!東郷青児『望郷』昭和の風雲児CGのような油絵】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
東京タワーが竣工した昭和33年(1958年)。
日本は高度経済成長の真っ只中でした。
終戦からわずか十数年で復興を果たした日本にとって、東京タワーは”奇跡のシンボル”ともいえる存在でした。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
その頃、ある画家が描いた美人画が街のいたる所に見られました。
カレンダー、雑誌の表紙、お菓子の缶や包み紙まで。
この時代を生きた人の多くが、どこかで目にしていたと言っても過言ではありません。
すらりと伸びた首筋や、長い手足。
長いまつ毛の甘い顔立ち。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
今回の主役は日本の洋画家、東郷青児(1897~1978)。
当時屈指の人気画家でしたが、その独特な画風は画壇では認められませんでした。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
「通俗な美人画」、「内容のない風俗画」、「論ずるに足らないペンキ絵」など散々な言われようでした。
非難を助長させた要因には、画家のスキャンダラスな一面もありました。
妻子がありながら愛人と心中未遂をしたり、ヌードモデルを率いて盛大なパレードをしたりなどなど。
しかし、どれほど批判を浴びようと自分のスタイルは変えませんでした。
そこには東郷の強い信念があったのです。
東郷青児《望郷》
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
《望郷》は東京タワー竣工の翌年、画家が62歳の時に描いた代表作です。
細くしなやかな腕。
少女はもの思いにふけっているのか、目を閉じうつむいています。
背景には古代ギリシャ風の神殿が見え、この絵をより神秘的なものにしています。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
まるでCGで作られた絵のようになめらかな画面です。
しかし、近づいて見てみるとキャンバス地が浮かんできます。
れっきとした油絵なのです。
しかし筆跡は一切なく、滑らかで不思議な質感に仕上がっています。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
東郷はこの《望郷》を描いて以降、まるで自分のトレードマークのように、同じような女性を描き続けました。
《望郷》は東郷のスタイルを確立した作品でした。
画壇の異端児の手腕
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
東郷には画家の他にもう一つ、美術団体である二科会の会長という顔がありました。
戦後間もなく二科会の再建に奔走し、”政治家”や”二科会の独裁者”とも揶揄されるほどの運営手腕を発揮しました。
二科会は今でも著名人の入選がニュースになりますが、この公募による著名人や新人の入選を押し進めたのも東郷でした。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
また、東郷の発案で行われたのが二科展の前夜祭でした。
プリミティブなイメージのダンサーやモデルを集めての大騒ぎは、世間の注目を集めました。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
その様子が新聞やテレビで報道されると、二科展の認知度が高まり、多くの客が展覧会に足を運ぶ。
これが東郷の狙いだったのです。
日本最初の前衛画家
ある批評家が東郷について次のように言ったといいます。
「東郷の中には、2人の東郷がいる」
一人は”現代美術の偉大な先駆者”としての東郷、もう一人は”戦後日本洋画壇の大ボス”としての東郷。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
そのデビューは鮮烈なものでした。
若干19歳で第3回二科展に《パラソルさせる女》を出品。
当時の日本の洋画界では、ゴッホやゴーギャンが最先端とされている頃に、それよりも新しいピカソやブラックが確立した”キュビスム”、前衛中の前衛の作品を描いてみせたのです。
初出展のこの時に、なんと最高の賞である「二科賞」を受賞します。
まさに日本洋画界の新星でした。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
その後、東郷は24歳でパリに留学します。
しかし、そこで大きな衝撃を受けます。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
当時、パリを席巻していたのが、「既成の芸術概念を破壊しよう」とするダダイズムでした。
ダダの展覧会では、天井からネクタイや楽器がぶら下がっていました。
なんじゃこりゃ!ってなったんでしょうね。
落胆した東郷は次のように語っています。
「パリにいて絵の事を知れば知るほど、理論先行する絵画や理論そのものに、俺はうんざりするようになっていた」
ルーヴルが導いたもの
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
そんな東郷に希望を与えたのが、美の殿堂、ルーヴル美術館でした。
東郷はルーヴルでレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、アングルらの美しい古典絵画に目を奪われました。
《望郷》の背景に描かれた神殿は、そんな古典へのオマージュともいわれています。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
7年のパリ滞在を終え帰国した東郷は、ルーヴルで見た古典絵画のような、美しく滑らかな画面を再現しようと試みます。
そしてその試行錯誤を重ねて、辿り着いた完成形が《望郷》だったのです。
ところが、古典絵画のような質感を目指した東郷でしたが、その手法は全く異なる独自のものでした。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
古典的技法と、東郷の技法。
その違いはなんだったのでしょうか。
古典的技法と徹底比較!
番組では絵画技法を研究し、自らも画家である山田啓貴氏が《望郷》の技法を再現しました。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
古典的な油彩画は、まず初めにキャンバスに下地となる絵の具を塗って、その後十分に乾かします。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
次に明るくしたい部分に白色を塗り、形を作っていきます。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
それを乾かした後、色を薄く塗っては乾かす作業を何度も繰り返します。
「多いものでは20層30層と絵の具を重ねていきます」(山田啓貴氏)
何層も絵の具を重ねる事で、形を浮かび上がらせるのが古典的な手法です。
では東郷の描き方を見てみましょう。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
東郷はキャンバスに下地は塗らず、絵具を直接塗っていました。
「色を重ねるというよりも、1つ1つのパーツをそれぞれ完成させていく描き方だったと思われます」(山田啓貴氏)
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
滑らかな絵肌にするために、古典絵画とは逆に、キャンバス地が見えるほどの薄塗りだったのです。
さらに色の乗せ方も異質でした。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
この当時の油彩画は、筆のタッチを隠さず、逆にそれで存在感を際立たせていました。
しかし東郷は対照的に筆跡の残らない、フラットな塗りを目指していたのです。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
さらに通常は、西洋絵画では用いられない刷毛を使ったと考えられます。
これにより、まるでCGのような独特の質感が生まれていたのです。
今回の記事はここまでになります。
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