2023年4月2日にNHKにて放送された「日曜美術館」の【重要文化財の秘密 知られざる日本近代美術史】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事では【日本画】の作品についてまとめていきます。
イントロダクション『重要文化財の秘密』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
東京・千代田区の東京国立近代美術館では2023年5月14日まで『東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密』という展覧会が開催されています。
この展覧会では重要文化財の作品のうち、明治時代以降に製作された作品のみが展示されています。
ですので、よく知られた傑作の数々が目白押しです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
高橋由一の代表作《鮭》。
日本の洋画の出発点といわれる作品です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
高村光雲の《老猿》は万国博覧会に出品され、世界に衝撃を与えました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
”重要文化財”とは1950年に成立した文化財保護法によって国が指定するもので、現在、美術工芸分野では全部で約1万800件の作品がありますが、そのうち明治以降の作品はわずか68件となっています。
今回の展覧会ではその68件のうち51点が展示されます(展示替えを含む)。
なぜそれだけの数しかないのか、そしてそれらはどのような経緯を経て重要文化財に指定されたのか、まとめていきます。
狩野芳崖《不動明王図》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
展覧会のトップバッターを飾るのは狩野芳崖の《不動明王図》です。
1955年(昭和30年)に明治以降の美術作品で、最初に重要文化財に指定された作品の一つです。
この時に《不動明王図》以外で指定されたのが、同じく狩野芳崖の《悲母観音》、そして橋本雅邦の《白雲紅樹》の3点でした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
一般的な『不動明王』を描いた作品と比べて鮮やかな色彩で描かれているのが特徴です。
明治時代に描かれ、近代日本画の始まりとなった記念碑的作品です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
作者の狩野芳崖は幕末から明治にかけて活躍した日本画家です。
19歳の時に狩野派に入門し、日本画の技法を学びます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
日本絵画史上最大の画派である”狩野派”は、室町時代中期に狩野正信から始まり、以降表現や技法を代々受け継いできました。
墨を用いて輪郭線を太く力強く描き、その中を色彩で埋める表現は狩野派ならではの手法でした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかし芳崖が40歳の時に明治維新が起こります。
西洋文化が入ってきたことにより、日本画は存亡の危機に立たされます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そこで芳崖は新しい日本画に挑みます。
伝統的な日本画に西洋画の技法や表現を取り入れたのです。
今回展示されている《不動明王図》は亡くなる前年、59歳の時に描かれた作品です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
通常、不動明王は背後に燃え上がる炎が描かれますが、この作品ではそれがありません。
その代わりに洞窟のような場所にぼんやりとした光を描いています。
これにより奥行きのある空間表現がなされています。
これは従来の平面的な日本画の画面には見られない、きわめて西洋的な表現といえます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
色鮮やかに描かれた衣装や装飾品。
ここには西洋の絵の具が一部使われています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
また狩野派の特徴である”墨(黒)を用いた輪郭線”ではなく、色の付いた絵具で輪郭線を描いています。
そうすることで西洋画風の表現になっており、特にその効果が表れているのが布の部分です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この《不動明王図》はまさに”新しい時代の新しい日本画”であり、この点が明治以降の作品で一番最初に重要文化財に指定された所以なのです。
横山大観《生々流転》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
続いての作品は近代日本画の巨匠・横山大観の《生々流転(せいせいるてん)》という作品。
大観が自身の”画業の集大成”として取り組んだ水墨画です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
作品の全長は約40メートルあり、”超大作”と呼ぶに相応しい作品です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《生々流転》のテーマは「水の一生」です。
霧から生まれた一滴の水が渓流となり、やがて大河へと変化し、最終的には海へと流れます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この作品では水の一生だけでなはく、朝から晩までの一日の時間の流れ、そして春夏秋冬の一年の時間の流れも表現されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
海となった水は、最後には龍となり天へと帰っていきます。
巡り廻る万物の営みが表現されているのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
横山大観は東京美術学校の第1期生でした。
西洋絵画に劣らない新しい日本画を目指した大観は、新たな表現に果敢に挑みました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
大観の表現で最も有名なのが「朦朧体(もうろうたい)」です。
これは日本画特有の輪郭線をあえて描かず、色彩の濃淡のみで形を表していく技法です。
じつは「朦朧体」という呼び名自体は画家本人が言い始めたものではなく、周囲から揶揄された表現で使われたものでした。
西洋でいうところの「印象派」や「フォーヴィスム」と同じですね!
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
横山大観、そして彼と親しかった画家の菱田春草。
この2人の師匠である岡倉天心が「西洋画のような空気や光を日本画でどう表現できるか?」というお題を出します。
それを受け大観と春草は試行錯誤を繰り返し、この表現を生み出しました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
輪郭線を排した朦朧体は、まるで水蒸気のような”もやっと”した新しい表現を出すことに成功したのです。
しかしその一方で「輪郭線がないので何を描いているか分からない」という声も当時の保守的な画家たちからあがっていました。
そんな彼等が「これは朦朧体だ!」と批判するのです。
「最初は本当に(大観と春草は)いじめられたというか」(解説・大谷省吾氏)
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そんな批判にも負けず邁進し、最終的には画壇のトップに立った横山大観。
1958年に89歳でこの世を去ります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《生々流転》が重要文化財に指定されたのが大観が亡くなって9年後の1967年です。
作品発表から数えると44年後の出来事ですが、これは前例の早さでの重文指定でした。
これには重文指定された年、”1967年”に理由があります。
この翌年の1968年が”明治100年”にあたるということで、「日本の近代の美術作品を振り返ろう」という動きが当時あったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そういった機運の高まりの中「では誰のどの作品が重文指定されるか」となった時に、「やはり近代美術の分野では横山大観だろう」ということになり、そんな大観の超大作である《生々流転》が指定される運びとなったのです。
今回の記事はここまでになります。