【CONTACT ART】《種をまく人》ミレー【美術番組まとめ】

CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~

2020年3月15日にwowowで放送された「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」の【#3 ミレー/山梨県立美術館】の回をまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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山梨県立美術館

画像出展元:wikipedia「山梨県立美術館」より

山梨県立美術館は山梨県甲府市にある美術館です。
19世紀のフランス、バルビゾン派の画家ジャン=フランソワ・ミレーの作品を約70点所蔵しており、「ミレーの美術館」と呼ばれています。

美術館の壁にもミレーの写真が見えますね。

開館したのは1978年、建物の設計はル・コルビュジェに師事した前川國男が手掛けました。

《種をまく人》ミレー


《種をまく人》1850年
ジャン=フランソワ・ミレー
山梨県立美術館蔵

農場で農民により”種が蒔かれるその瞬間”を描いた作品です。
土を踏みしめる足音も聞こえてくるような、力強く躍動感にあふれた作品です。
温度や湿度といった空気感までこちらに伝わってくるようです。

画家ミレーバルビゾン村を舞台にこのような農民の姿を数多く描きました。
この《種をまく人》は彼の代表作ですが、他にも《落穂拾い》や《晩鐘》などが良く知られています。

《落穂拾い》

《晩鐘》

原田マハ氏はこの《種をまく人》にミレーの強いメッセージが込められていると言います。
種というのは様々なものを象徴している。それは文化や芸術の種でもあり、あるいは民主主義かもしれない。当時の色々な要素を種に置き換える事が出来る。
大地は世界を表していて、それに向かって(種を)蒔いていくという人民の姿を表しているのではないか。その種がこれから再生していく、これから成長していくのではないか

この《種をまく人》は1851年のサロン(国の展覧会)に発表され、大きな反響を生みました。
農民のリアルな姿が賞賛を得る一方、当時の政権へのアンチテーゼだという批判も受けます。

この作品が描かれたのは1850年という事で、第一回印象派展が開かれる20年以上前の時代という事になります。
近くで寄ってこの作品を見ると、絵具がものすごく厚塗りなのが分かります。
また筆跡も残されており、ここから画家の存在を思わせます。

こういった点が後のモネゴッホに引き継がれていくのです。
ミレーのいたバルビゾン派は「印象派の前史」とも言われています。

画家:ジャン=フランソワ・ミレー

ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet、1814-1875)は別名「農民画家」とも呼ばれます。

30代まではパリで開かれていたサロンに何度も応募し、入選と落選を繰り返していました。
いわば「栄光と挫折」の繰り返しでした。

ミレーのイメージに農園や田園風景を思い浮かべる方が多いと思います。
しかし実は意外なことにキャリア初期の頃には肖像画を多く描いていました


《ジャヴァン氏の肖像》1841年
ジャン=フランソワ・ミレー
フランス、トマ=アンリ美術館蔵

この時代のフランスでは次第にブルジョワジーと労働者階級の格差が広がり、対立が高まっていました。
やがて民衆の不安が募り、不安定な時代を迎えます。

ミレーは混沌とするパリから離れて、バルビゾン村へ移住する事を決めます。
自然豊かな情景の中で、ありのままの姿を描いていく事になります。
それは働く民衆、労働者階級の人々の姿でした。

これはそれまでの絵画の在り方に一石を投じるものでした。

ボストン版《種をまく人》

じつはミレーの描いた《種をまく人》は世界に2点存在します。
一つはここ山梨県立美術館が所蔵するもので、もう一つはボストン美術館が所蔵するものです。


《種をまく人》1850年
ジャン=フランソワ・ミレー
ボストン美術館蔵

描かれたのはどちらも1850年です。

過去に両作品にX線調査が行われ、ボストン版が最初に描かれて、山梨版の方が後に描かれたものである事が分かりました。

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART #3」より

両作品の構図はほぼ一緒です。
しかし人物の描き方に違いが見られます。

左のボストン版の方は体つきが逞しく、また手足も長い理想的(現実味の薄い)なフォルムをしています。
一方の山梨版はボストン版より手足が短く、現実的な姿をしているという特徴があります。

この《種をまく人》がサロンに出品されたという記録が残されていますが。現存する2枚のどちらが出されたかは定かではありません。

ミレーが後世の画家に与えた影響

”農民”といういわばこの社会的弱者であった人にスポットライトを当てて描くというのは、この時代画期的なことでした。
そしてこの姿勢は後に「自分の描きたいものを心のままに描く」という画家の姿勢に継承されていきます。

特にゴッホミレーから強い影響を受けています。
ゴッホも《種をまく人》という主題で作品を描いています。


《種まく人》1889年
フィンセント・ファン・ゴッホ
個人蔵

《日没の種まく人》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
オランダ、クレラー・ミュラー美術館蔵

ゴッホは画家を志した当初から、ミレー同様に社会の弱者である農民を描いていました。
ミレーの精神はゴッホに影響を与え、世代を超えて尊敬されていきました。

いかがでしたでしょうか。

最後までご覧頂きありがとうございました。
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コメント

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