【アートステージ】速水御舟【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2019年7月6日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【速水御舟 夭折の天才日本画家、その神髄】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

スポンサーリンク

イントロダクション

今回取り上げる速水御舟は、大正から昭和初期にかけて活動した日本画家です。
2019年は生誕125年の記念の年でした。

40歳の若さで亡くなってしまいますが、その生涯に残した作品数はおよそ700点
今回は速水御舟の代表作を中心に、彼の作品と画家人生についてまとめていきます。

《炎舞》


《炎舞》1925年
重要文化財
速水御舟
山種美術館蔵

こちらは速水御舟の代表作《炎舞》です。
重要文化財にも指定されている、近代日本画の傑作です。

漆黒の闇を切り裂くように炎が燃え上がっています。
舞い上がる火の粉の描写は命を宿しているようです。

その炎に吸い寄せられるように集まってきた蛾。
淡く光を放ち、どこか神秘的な雰囲気が漂います。

しかし蛾というのは本来、このような飛び方はしないといいます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

この作品の”真の主役”ともいえるのは、背景の闇の黒色です。
よく見ると、わずかに紫がかっており黒一色ではない事が分かります。
御舟自身もこの色について「二度とは出せない色」と言っています。

緻密な写実と深い幻想性のこの作品は、御舟31歳の時のものです。

画家 速水御舟

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

速水御舟は1894年、東京・浅草に生まれました。
幼い頃から絵を描くのが好きな子供だったといいます。

14歳の時には、安雅堂画塾(あんがどうがじゅく)という画塾に入門。中国画から浮世絵まで様々な絵を模写して、腕を磨いていきました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

こちらは御舟の修業時代の作品、《錦木(にしきぎ)》です。

描かれているのは、思いを寄せる女性の元に向かう男性の姿。
しっかりと前を見つめるその表情からは、当時19歳だった画家・御舟の決意と気迫が込められているようです。

その後、御舟は京都に移り、古都の風景の中で作品を残していきます。


《山科秋》1917年
速水御舟
山種美術館蔵

この作品では、地面の黄土色から山の群青へと向かう、絶妙な色彩の移り変わりが表現されています。
まるで自分が古の大和絵の中に溶け込んだような、抒情性あふれる一枚です。

兄弟子 今村紫紅との関係

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

御舟の兄弟子に今村紫紅(いまむら しこう)という画家がいました。
14歳年上の紫紅は、若き御舟に多大な影響を与えました。

今村紫紅『熱国之巻』

大胆かつ自由な発想の持ち主だった紫紅は、画壇に刺激を与える存在でした。
僕は伝統を破壊するから、君たちは創造してくれ
弟弟子に向けた言葉に、彼の生き様がよく表れています。

紫紅に触発された御舟は、次々と新しい表現を取り入れていきます。
先ず力を入れたのが徹底した写実表現でした。伝統的な日本画の技法で、西洋画の油絵のリアリティに迫ろうとしたのです。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

家屋を描けば、そこに暮らす人の息遣いまで聞こえてくるようなリアリティです。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

こちらの作品では、柔らかな花の匂いまでこちらに伝わってくるようです。

これらは御舟、20代後半に描かれたものです。
写実表現の追求した結果がよく表れています。


そしてこの時代の辿り着いた一枚が、冒頭でご紹介した《炎舞》なのです。

《翠苔緑芝》

御舟はさらに新しい表現を追い求めます。
徹底した細密描写から、次は琳派の装飾美に挑みます

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

こちらは静嘉堂文庫美術館所蔵の、俵屋宗達の作品。
国宝 《源氏物語関屋澪標図屏風(げんじものがたりせきやみおつくしずびょうぶ)》 です。

修業時代から琳派を意識し続けてきた御舟
御舟」という名前も、琳派の祖である俵屋宗達のこの作品にちなんだものです。


《翠苔緑芝》1928年
速水御舟
山種美術館蔵

その御舟の琳派研究の成果となる一枚が、この《翠苔緑芝(すいたいりょくし)》です。

左隻には芝の上で遊ぶウサギ。右隻には苔に休む黒猫がいます。
華麗な黄金と爽やかな緑の対比、そして平面的な画面構成はまさに”琳派”といった作品です。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

しかし細部をよく見てみると、その描写力に驚かされます。
黒猫の表情はとても生き生きとしています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

アジサイも絶妙な質感表現で描かれています。
琳派という伝統を踏まえながらも、御舟ならではの新たな美の世界が表されています。

御舟は一つの様式に凝り固まることなく、常に新しい絵画を模索しました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

36歳の時には、長年の念願が叶い、10か月程ヨーロッパに滞在する機会を得ます。

御舟は若い頃から西洋風の油絵、特に岸田劉生の作品に影響を受けました。
西洋の画家では、ジョットエル・グレコに興味を持っていたといいます。

ヨーロッパ滞在中の御舟は、人体デッサンの重要性、そして日本人画家のデッサン力の低さを痛感します。
そして帰国後にはその欠点を克服すべく、人物画に取り組みます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

日本画と西洋画を融合した、独自の画風を切り開くかに思えた御舟ですが、1935年に腸チフスにかかり、40歳の若さで亡くなってしまいます。

将来を嘱望された画家の死に、横山大観は次のような言葉を残しています。
速水くんの死は、日本のために大きな損失である」。


次々と画風を変えながら、画壇に新風を巻き起こした御舟
彼はこんな言葉を残しています。
はしごの頂上に登る勇気は尊い。さらにそこから降りてきて、再び登り返す勇気を持つものはさらに尊い

この言葉には、例え一つの画風を極めても、また新しいものを取り入れて、新たな境地を切り開こうとした御舟の胸中が伺えます。
もし御舟が40歳の若さで亡くなっていなければ、また違った画風、新しいはしごの頂上からの光景を私たちに見せてくれていたかもしれません。

展覧会「生誕125年記念 速水御舟」@山種美術館

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

2019年は、速水御舟生誕125年にあたる記念の年でした。
それを祝して、東京・広尾の山種美術館では企画展が開催されていました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

山種美術館は「御舟美術館」と呼ばれるほど、速水御舟の作品が充実しています。
その数120点で、全部で約700点といわれている御舟作品の約6分の1が山種美術館にある事になります。

2019年は御舟生誕125年の他にも、山種美術館が現在の広尾に移転して10周年という年でもありました。
そのダブルの記念の年ということで、この展覧会では所蔵する御舟作品120点すべてを前期・後期に分けて公開されていました。

目玉の作品は何と言っても、御舟の代表作であり、重要文化財にも指定されている《炎舞》です。


《炎舞》1925年
重要文化財
速水御舟
山種美術館蔵

背景の闇は、御舟自身「二度と描けない色」と言うほど、単に黒いだけではない、非常に微妙な色合いが表現されています。

御舟は日本画の画家ですが、斬新な日本画を残したといえます。
様々な描き方に挑戦し、同じ画家が描いたと思えないほど多様な作品を残しているのもその特徴です。

40歳という若さで亡くなっていなければ、もっと多くの傑作を残していた事でしょう。

タイトルとURLをコピーしました