2020年6月13日にテレビ東京にて放送された「新美の巨人たち」の【希望を与え続けてきた『ノートルダム大聖堂』復活への祈り】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション:ノートルダムが燃えている…
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
2019年4月15日、世界中が衝撃に包まれました。
フランス・パリにあるノートルダム大聖堂で火災が発生したのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
パリの象徴ともいえる、尖塔も焼け落ちてしまいました。
火が消し止められたのはおよそ9時間後で、火災の原因は今も分かっていません。
厳選!ノートルダム大聖堂の美
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ノートルダム大聖堂は、パリのセーヌ川の中州のシテ島に建っています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
圧巻なのはその大きさです。
全長は約127メートル。高さは尖塔を含めると約90メートルになります。
火災で倒壊した尖塔は19世紀に造りなおされたものです。
「ゴシック建築」と呼ばれる建築様式で、12世紀に花開いた壮麗な装飾が施されています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
大聖堂の象徴が2つの巨大な鐘楼(しょうろう)。
中央にずらりと並ぶ28体の彫像は、歴代のユダヤ王の姿と言われおり、「王のギャラリー」と呼ばれます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
聖堂内部は、祭壇まで続く長い身廊(しんろう)と圧倒的な高さを誇る天井。
立ち並ぶ沢山の柱は木々に見立てられ、聖堂内は「深い森」にも例えられます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
最も奥にあるのが内陣と呼ばれる場所で、通常は聖職者のみ入る事が許された、特別な空間です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
中央には処刑されたキリストを抱く聖母マリアの姿。
この主題は「ピエタ」と呼ばれ、ミケランジェロの造った彫像(サン・ピエトロ)がよく知られています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
鐘楼を仰ぎ見ると、端に奇妙な像が座っているのが見えます。
これはシメールという架空の怪物です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
パリの街を見下ろすかのように鎮座するシメールは、悪魔から大聖堂を守る役割があるのです。
隠された名前の意味
ノートルダム大聖堂はこれまで、多くの画家によって描かれてきました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
印象派の巨匠クロード・モネが描いた連作やフランスの国民的作家であるマルセル・プルーストが描いたものがよく知られています。
しかしこれらは両作品とも、パリのノートルダムを描いたものではありません。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
そもそも「ノートルダム」という名の教会は、パリ以外にも何百という数があり、「大聖堂」と名のつくものに限定しても40近くあるといいます。
そもそもノートルダムというのは地名などではありません。
「ノートルダム」は英訳すると「Our Lady=聖母マリア」の意味となります。
つまり聖母マリアに捧げられた教会堂というのが、「ノートルダム」なのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
それでは、どうして聖母マリアの名を冠した教会堂がそれほどまで多く建てられたのでしょう?
その答えはフランスの激動の歴史の中にありました。
貧困・疫病…人々の救済のために
キリスト教がヨーロッパに広まったのは、5世紀頃といわれています。
それ以降、相次ぐ戦争や貧困に苦しむ市民は聖母マリアに救いを求めるようになっていきました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
それはやがてマリア崇敬となり、各地にノートルダムという名前の小さな教会が建てられていくのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
そして1163年、パリのノートルダム大聖堂の建設工事が始まります。
この時代すでにパリはヨーロッパ最大級の都市になっていました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
それまでの教会は「ロマネスク様式」と呼ばれるもので、素朴で小さなものがほとんどでした。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
当時パリ司教だったモーリス・ド・シュリーは、それまでにない巨大な聖堂を造ることを決意します。
そこで「ロマネスク様式」に変わる様式として取り入れられたのが、「ゴシック様式」でした。
フランス中から腕利きの職人が集められ、誰も見た事のない大聖堂の建築に挑みました。
ゴシック建築の特徴は、壁が高くて広い空間です。
しかし、そのためにただ石を積み上げるだけでは崩れてしまいます。
これを解決し、建物の巨大化を可能にした当時の技術が大聖堂の裏手に今もあります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
大聖堂にまるでつっかえ棒のような支えがあるのが分かります。
これは「フライング・バットレス」と呼ばれるものです。
これにより、建物の”外に広がろうとする力”を抑え込む働きがあります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
かつてない大聖堂の建築には、技術面以外にも問題がありました。
それが「資金不足」です。
その財政難を救ったのは、当時のパリの市民たちでした。
市民からの寄進を支えに、およそ200年の時を経て、1345年にノートルダム大聖堂は完成します。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
完成して間もなく、パリのみならずヨーロッパ中を疫病が襲います。
それが「ペスト」でした。
これにより当時のヨーロッパの人の3分の1が亡くなったといいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
巨大なノートルダム大聖堂は、一度に9000人の人が祈りを捧げることができます。
疫病におびえる市民の不安を受け止め、復興への希望をつなぐ場としての役目を果たしたのです。
何だか今のコロナ禍の状況と重なりますね…
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
大聖堂の中でひときわ目を引くのが巨大なステンドグラスです。
バラの花弁のようなそのデザインから、「バラ窓」と呼ばれています。
直径はおよそ13メートルで、1200年代中頃に制作されたものです。
薄暗い聖堂内をやわらかな光で照らし出します。
実はこのステンドグラスには、大聖堂のもう一つの魅力が隠されていました。
パート2へと続きます。
【新美の巨人たち】ノートルダム大聖堂②【美術番組まとめ】
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[…] こちらの記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧ください。 […]