《ほおずきの実のある自画像》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
シーレの自画像の中でも”傑作”と呼ばれる一枚。
今回の展覧会のメインビジュアルにもなっています。
この自画像を描く直前、彼の身にとある事件が起こります。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
シーレ22歳、ウィーン郊外のノイレングバッハに滞在していたときの事でした。
彼はこの地でアトリエを借り、近所の少女たちをモデルに絵を描いていました。
そこに家出をしたシーレファンの少女がやってきます。
彼は少女をアトリエにかくまってあげますが、警察に知られてしまい、警官がアトリエにやって来ます。
アトリエからはヌード作品やヌードデッサンが何枚も見つかり、シーレは逮捕されてしまいます。
3週間に及ぶ勾留の後、公序良俗に反する絵画を流布した罪で、3日間の禁固刑の判決が下されます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
シーレが拘置所の中で描いたスケッチが残っています。
ベッドに横たわり、この扉をじっと見つめていたのでしょう。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
自分の描きたい絵を描く事が許されず、またそれが理解されず、シーレは苦しみと孤独感に苛まれます。
この事件はシーレの心に深い傷を残しました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《ほおずきの実のある自画像》は大きな挫折を経験して、新たな決意で自分を見つめた姿なのです。
シーレが生きた頃のウィーン
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
シーレが生きた時代のウィーンは大規模な都市改造が行われ、近代化の道を進んでいました。
ブルジョワが台頭し、社会が活気づいていく一方、その裏側では欺瞞と矛盾が起こっていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
貴族的な世界と貧困層の間に起こる格差。
街では結核や梅毒といった性病も蔓延していました。
表向きは洗練されたお洒落な都会でしたが、現実には様々な矛盾が起こっていたのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
美術アカデミー退学後、シーレは労働者が暮らす地域でアトリエを借りました。
そこでシーレが見つめたのは、貧しさの中で賢明に生きる人たちでした。
戦争とシーレ
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1914年、シーレが24歳の年に第一次世界大戦が勃発します。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その翌年、ウィーンで借りたアトリエの向かいに暮らしていたエーディトと結婚します。
しかしほどなくしてプラハの駐屯地へ送られます。
そこでシーレは捕虜の監視等の仕事に就きながら、絵画制作を行いました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは捕虜のロシア兵を描いたスケッチです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
敵国の人間を描いたものですが、手を抜くことなく、輪郭線や色使いも丁寧に仕上げています。
まるで旧知の友人を描いたような一枚です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは日本の豊田市美術館が所蔵するシーレ作品です。
高さが1.4メートルもあり、大作であることが伺えます。
モデルのグリュンヴァルトは繊維業を営む人物で、戦時中はのシーレの上官でした。
また美術愛好家としての顔も持ち、戦地でもシーレが絵画制作できるようにサポートしたり、後にはパトロンとしてシーレを支えました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
作品からは、シーレが思いを込め何度も何度も絵具を塗り重ねていったことが伝わってきます。
大切な人物の存在感をリアルに描きだそうとしているのです。
晩年のシーレ
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1917年、戦争が終わりに近づくとシーレはウィーンへ戻ります。
この頃シーレは一躍人気画家となっており、絵の注文がひっきりなしに入っていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
亡くなる年の1918年、シーレは《家族》という作品を発表します。
裸姿の親子三人が一列に腰掛ける姿を描いた絵です。
こちらの父親はシーレ自身をモデルに描かれています。
彼は人間の存在を象徴するモチーフとして「家族」を選んだのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかしその家族の元に不幸が訪れます。
妻のエーディトがスペイン風邪にかかり亡くなっていまいます。
彼女のお腹の中には赤ん坊がいました。
そして妻が亡くなった僅か3日後、妻の看病をしていたシーレもスペイン風邪でこの世を去るのです。
”自分自身”と”人間”を見つめ続けたシーレは、その28年の生涯を閉じたのです。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。