2020年2月13日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【バロック絵画 三枚の傑作】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
「バロック絵画」とは
「バロック絵画」という言葉をご存知でしょうか?
17世紀初頭から18世紀初めに見られる美術様式で、ポルトガル語の「バローコ(歪んだ真珠)」がその名称の由来です。
17世紀ヨーロッパの各国では、絶対王政を背景にバロック絵画が花開きました。
カラヴァッジョやルーベンスらが世に出てきた、いわば絵画の黄金時代です。
今回の記事ではそんなバロック絵画を代表する画家であるベラスケス、レンブラント、そしてフェルメールの傑作についてまとめていきます。
《ラス・メニーナス》ベラスケス
《ラス・メニーナス(女官たち)》1656年
ディエゴ・ベラスケス
プラド美術館蔵
まず初めにご紹介するのは17世紀のスペインで活躍したディエゴ・ベラスケスの代表作《ラス・メニーナス》です。
”絵画表現の極致”といわれるこの作品。
あのピカソもこの作品に魅了された一人で、《ラス・メニーナス》の模写を描いたり、一部をモチーフにした作品を描いています。
ここに描かれているのはフェリペ4世の宮廷で、王宮内の画家のアトリエだといわれています。
画面中央に立つのは王女のマルガリータ。
その周りにはお付きの女官や侍女の姿が見えます。
画面左でパレットと絵筆を持っているのはベラスケス本人です。
彼の胸元には、赤い十字のサンティアゴ騎士団のマークが記されています。
じつはこの作品、近くで見ると印象派のような粗いタッチで描かれています。
しかしベラスケスが生きたのは印象派が活躍するよりも約200年も前のことです。
いかにベラスケスが先進性のある画家だったのがわかります。
”印象派の父”と呼ばれるエドゥアール・マネも、ベラスケスを”画家の中の画家”と称えています。
謎に満ちた作品
描かれた17世紀から今日まで、この絵が人々を惹きつけてやまないのは、この絵が謎に満ちた迷宮のような作品だからです。
その迷宮への入り口とも言えるのが、画面奥に置かれた1枚の鏡です。
ここには二人の人物が映っていいますが、これは国王夫妻です。
鏡の位置から計算すると、国王夫妻の立ち位置は絵の鑑賞者と同じ場所になります。
つまりこの《ラス・メニーナス》の中で画家ベラスケスは、”正面にいる国王夫妻の肖像画を描いている”と考える事ができるのです。
ところが実際に残された国王夫妻の肖像画で、この《ラス・メニーナス》でベラスケスが描いているサイズものはありません。
さらに《ラス・メニーナス》には別の解釈もあります。
王女の隣にいる女官の一人はこちらを見つめながら、腰をかがめ挨拶をしています。
これはすなわち「後から入ってきた国王夫妻に気が付いたので、挨拶をしている」とも考えられるのです。
そうなるとベラスケスが画中で描いているのは、隣にいる”王女と女官たち”であり、そこに後から国王夫妻がやってきた、とも取ることができるのです。
いったいこの作品の中でベラスケスが描いている絵は何なのか?
じっとこちらを見つめる画家の視線は、常に鑑賞者に対して謎を投げかけているようです。
《夜警》レンブラント
《夜警》1642年
レンブラント・ファン・レイン
アムステルダム国立美術館蔵
続いての作品は17世紀のオランダで活躍したレンブラントの代表作です。
《夜警》と題されたこの作品は、タイトル通り、町の自警団の姿が描かれています。
彼らが警備に出発しようとする、まさにその瞬間です。
このように特定のグループの人々を描いた”集団肖像画”と呼ばれる作品は、当時のオランダでたいへん流行しました。
《ハールレムの聖ゲオルギウス市民隊幹部の宴会》1616年
フランス・ハルス
こちらはレンブラントと同時代に同じオランダで活躍したフランス・ハルスの作品です。
このような集団肖像画の制作を画家に依頼する際、その支払いはグループの一人一人が同じ金額を出し合って支払っていました。
ですので、このフランス・ハルスの作品のように一人一人が平等に描かれるのが暗黙の了解でした。
しかしレンブラントの《夜警》はどうでしょう。
画面中央にいる隊長と副隊長は、光も当たりかなり目立っています。
一方で端の方の人は暗く見えずらかったり、顔の一部が隠れてしまっています。
この辺の人なんて絶対面白くなかったでしょうね…
当然完成した《夜警》を見た自警団のメンバーは激怒します。
彼らの怒りは収まらず、レンブラントは訴えられてしまいます。
更に彼らを怒らせたのがこちらの女性の存在です。
この女性は自警団のメンバーではありません。
にもかかわらず、スポットライトが当てられ、作品の中で一番目立つ存在になっています。
自警団の守護天使として描かれたこの女性は、レンブラントの妻のサスキアがモデルだといわれています。
《妻サスキア・ファン・アイレンブルフの肖像》
レンブラント・ファン・レイン
《夜警》の制作時、妻のサスキアは病に伏せっており、完成した1642年に30歳の若さでこの世を去ります。
最愛の妻の死、そして仕事上でのトラブル。
順風満帆だったレンブラントの人生は、まさにこの《夜警》以降、暗転していくのです。
集団肖像画のルールから外れ、当時はもの凄い批判を浴びたこの作品。
しかし結果的には歴史上最も有名な集団肖像画となり、”世界三大名画”の一つに数えられるほどの傑作になったのは興味深い話です。
>>最後の作品はフェルメール《デルフトの眺望》です