【トーハク】デュシャンと日本美術②【ぶらぶら美術館】

ぶらぶら美術・博物館

2018年11月6日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#288 アートの秋!トーハクで名作ざんまい豪華2本立て!~快慶の傑作仏!「大報恩寺」展と芸術を揺るがした「マルセル・デュシャン」~】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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《ソナタ》


《ソナタ》1911年
マルセル・デュシャン
フィラデルフィア美術館蔵

デュシャン24歳の時の作品です。
当時流行したキュビスムの影響を受けているのが分かります。

この作品のような柔らかく淡い色調が、デュシャンがいたキュビスムのグループ「ピュトーグループ」の特徴でした。

この頃パリにいた芸術家は皆、一度はキュビスムに手を出している」と山田五郎さんは言います。
”モダニズム”というものが始まり、「直線的なものがかっこいい!」「科学的なものがかっこいい!」という感覚が生まれてゆくのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それまで”もの”というのは職人が手仕事で作り上げていました。
しかし工場による大量生産が可能となり、世界的に価値観が変わっていくのです。

そしてそれが一番体現された(悪い方向ですが)のが、第一次世界大戦でした。
第一次世界大戦は人類史上初の機械戦であり、またそれまでに類を見ないほど多くの人が亡くなりました
戦争に行った多くの男性が亡くなった事により、第一次世界大戦後、女性の社会進出が進んだのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

価値観や美意識が変わっていった時代、その一つの代表が「キュビスム」だったのです。

《階段を降りる裸体 No.2》


《階段を降りる裸体 No.2》1912年
マルセル・デュシャン
フィラデルフィア美術館蔵
撮影:masaya(2018年12月)

こちらはデュシャンの代表作《階段を降りる裸体 No.2》です。
25歳の時の作品です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

パッと見、どういう状況か分かりにくい絵です。
画面右奥から螺旋階段が伸びていて、その階段を連続写真的な動きで降りている所を描いています。
人の「動き」や「時間」がこの絵の中に込められているのです。

一目見て「あ、キュビスムっぽいな」と思う作品ですが、じつはこの作品は他のキュビスムの画家たちからダメ出しされてしまいます

1912年3月、デュシャンがこの作品を「サロン・デ・ザンデパンダン(アンデパンダン展)」というキュビストが多く出品する展覧会に出そうとした所、これはキュビスムの作品ではない」として批判を受けるのです。

その批判の明確な理由は分かっていませんが、《階段を降りる裸体 No.2》からは様々な理由が考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

例えば画面左下のブロック体の表記
絵画作品にサインなどで字を入れる際には、筆記体で書かれるのがルールであり、ブロック体というのは、印刷物の字体であると考えられていました。

これにより「西洋美術の慣習を無視している」と捉えられた考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

また、立っている裸体という表現そのものがアウトだったとも考えられます。

女神や神話の登場人物として女性のヌードや、近代であれば寝そべっている裸体であればセーフでしたが、デュシャンが描いたのは直立している裸体だったのです。

言うても、これを見て裸体だとは思わない気がしますが…

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

さらに考えられる理由としては、当時キュビスムのライバル的存在だった、「イタリア未来派」の作風に寄っていると思われた点です。

イタリア未来派」の特徴は、作品の中に”時間”や”運動”を取り入れる事でした。
この《階段を降りる裸体 No.2》はまさに、階段を降りてくるその動きを描いています。

一方キュビスムというのは、静止した・動かないものを描く傾向にありました。

前衛芸術というのは”理論”が非常に大事になってきます。
そこで違うグループ、ましてライバル的存在のグループの理論を持ち込まれる事に我慢がならず、「この作品はイタリア未来派だよ!」というような批判があった事が考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

結局この《階段を降りる裸体 No.2》はアンデパンダン展には出展されず、代わりに1913年にニューヨークで開かれたアーモリーショーという現代美術の展覧会に出品されます。
デュシャンはそこでアメリカでの知名度を獲得していくのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この作品以降、デュシャンはキュビスムのグループを離れ、「絵画の時代は終わった」と言ったといいます。

今回の記事はここまでです。
続くパート3では、絵画をやめたデュシャンの新たな創作活動とその作品についてまとめていきます。
こちら☚からご覧頂けます。。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでです。 続くパート2では、デュシャンのキュビスム作品について見てまいります。 こちら☚からご覧頂けます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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