2020年12月1日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#362 上野の森美術館「KING&QUEEN展」~中野京子さん解説!知れば知るほど面白い!英国王室ドラマティックな500年~】の回をまとめました。
今回の記事はパート2です。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。
今回の記事ではヘンリー8世の2番目の妻であるアン・ブーリンから、最後の妻となったキャサリン・パーまで全て取り上げます。
「KING&QUEEN展」に出展されているのは、《アン・ブーリンの肖像》のみですが、その後の王位継承の流れや、ヘンリー8世がどのような人物だったかを知る上でも重要になってきますので、まとめていきたいと思います。
2人目の妻 アン・ブーリン
《アン・ブーリン》16世紀後半
作者不詳
ヘンリー8世が最初の妻のキャサリン・オブ・アラゴンと離婚したかったのは、男の子を産めなかったことの他に、もう一つ理由がありました。
それは別に好きな女性がいたからです。
その女性というのがヘンリー8世の2番目の妻となる、アン・ブーリンです。
彼女は元々は最初の妻キャサリンの侍女をしていました。
ヘンリー8世はアン・ブーリンと再婚するために、ローマのカトリック教会と対立します。
そして今のイギリス国教会(プロテスタント)を作りました。
再婚するために宗教まで作っちゃうってすごいですね!
元々王妃の侍女だったアン・ブーリンですが、彼女は貴族の出身でした。
(位の高い人に仕える侍女は、貴族の人が務める事もあったようです)
ヘンリー8世は元々アンを愛人にしようとしますが、「王妃じゃないと嫌だ」と迫られます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
しかし中野京子先生は別の見立てをしています。
「アン・ブーリンはヘンリー8世と結婚するのが嫌だったのでは?」といいます。
アン・ブーリンはすでに大貴族の息子と婚約していたのです。
それに”自分の思い通りにするためなら何でもする”ヘンリー8世の王妃になっても、幸せになれるかどうか分かりません。
それで「王妃じゃないと嫌だ」といって、結婚を長引かせたのでは?と中野先生は推測しているのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
しかしアン・ブーリンも男子を生むことができず、そればかりか姦通の疑いがかけられ、結局王妃になって3年たらずでヘンリー8世に処刑されてしまいます。
彼女は「1000日女王」と呼ばれました。
アン・ブーリンは女の子を一人生みますが、彼女が後のエリザベス1世です。
(エリザベス1世については、パート3でまとめていきます)
ロンドン塔でのアンの幽霊の噂
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
アン・ブーリンは1536年、ロンドン塔で首をはねられます。
それ以来、ロンドン塔には夜な夜なアン・ブーリンの幽霊が現れると、死後500年以上経った今でも噂されています。
20世紀になってからでも次のようなエピソードがあります。
あるロンドン塔の門番が勝手に持ち場を離れてしまいましたが、「アン・ブーリンの幽霊が来て怖くて逃げた」と理由を話した所、お咎めなしになったというのです(中野京子先生談)
イギリス人は幽霊話が大好きとの事で、幽霊の出る物件の家賃が日本だと普通安くなりますが、イギリスだと逆に高くなる事があるそうです(こちらも中野京子先生談)
3人目の妻 ジェーン・シーモア
*こちらの肖像画は「KING&QUEEN展」の出展作品ではありません。
アン・ブーリンが処刑されたその翌日に、ヘンリー8世は3人目の妻となるジェーン・シーモアと結婚します。
アンが男子を生めないだろうと思い始めた時から、王は彼女の女官だったジェーン・シーモアと関係を持っていたといいます。
さらにアンが処刑された時点では、ジェーン・シーモアのお腹にはすでに赤ん坊がいたというのです。
ここでヘンリー8世が望んだ男子が生まれ、彼が次の王様のエドワード6世となるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
エドワード6世についても、今回の「KING&QUEEN展」に肖像画が来日していますので、のちほど取り上げます。
無事に男の子を生んだジェーン・シーモアですが、出産の際に命を落としています。
その時のエピソードで次のようなものがあります。
ものすごい難産のため、ヘンリー8世は子どもと妃の両方を助けることはできない、と医者から言われます。
「子供を取るか、妃を取るか?」という問いに対し、「子供を助けて欲しい。妃の代わりはいくらでもいる」と言ったという言い伝えがあります。
とんでもないったらありゃしないですね!!
あくまで言い伝えですが、そういう事を言いかねないような人物だと思われていた、とも言えるでしょう。
4番目の妻 アン・オブ・クレーヴス
待望の男子として誕生したエドワード6世ですが、体が弱かった事もあり、もっと沢山の男子が欲しいとヘンリー8世は考えました。
そして次なる妃候補を探すのです。
*こちらは「KING&QUEEN展」の出展作品ではありません。
そして4番目の妻となったのが、アン・オブ・グレースでした。
しかしこの4回目の結婚には少し面白いエピソードがあります。
当時はもちろん写真がない時代なので、ヘンリー8世は彼女を肖像画で最初にみることになります。
その肖像画がたいへん美しかったので、ヘンリー8世は結婚を決めました。
しかし後日アン本人と対面すると、ヘンリー8世は「肖像画と全然違う!」と言い、即刻離婚を言い渡すのです。
現代でもマッチングアプリとかでありそうですね(笑)
アプリで盛った写真と実物が全然違う!みたいなw
女性としてはかなり傷つけられるエピソードですが、しかし結果的にはヘンリー8世の妻の中で一番幸運だったと言えます。
離婚されただけで処刑される事はありませんでしたし、その後も大きな城をもらい、6人の妻の中でも一番長生きします。
*こちらは「KING&QUEEN展」の出展作品ではありません。
ちなみにこの時、アン・オブ・クレーヴスの肖像画を描いたのは《大使たち》で知られるハンス・ホルバイン(子)でしたが、似ていない肖像画を描いた事でヘンリー8世の怒りを買い、宮廷画家の身分を追放。
更に家臣の一人は責任を取らされ、斬首刑にされています。
5番目の妻 キャサリン・ハワード
*こちらは「KING&QUEEN展」の出展作品ではありません。
5番目の妻となったキャサリン・ハワードは、2番目の妻、アン・ブーリンのいとこにあたる女性です。
この時ヘンリー8世は49歳で、キャサリン・ハワードは二十歳そこそこでした。
ヘンリー8世は歳の離れた妃を「私の薔薇だ」と言い、たいそう可愛がったといいます。
しかしヘンリー8世との結婚からわずか2年後に浮気をし、それが王にばれて処刑されてしまいます。
自分もやっとったがな!ってなりますがね…
最後の妻 キャサリン・パー
*こちらは「KING&QUEEN展」の出展作品ではありません。
6番目であり、ヘンリー8世の最後の妻となったのがキャサリン・パーです。
もうこの時点では世継ぎのためにというよりも、ヘンリー8世の介護をするために結婚したようなものでした。
2人の間に子供はおらず、約4年間、病床のヘンリー8世の看病をして、王の最期を看取ります。
ヘンリー8世は遺言で、キャサリンを王妃にすると遺しましたが、彼女は早々に宮廷を退出しています。
そして半年もしない内に昔の恋人と再婚するのです。
いかがでしたでしょうか。
今回の記事は以上になります。
続くパート3では、ヘンリー8世の後に王になったエドワード6世から見てまいります。
こちら☚からご覧いただけます。
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