【ぶら美10周年SP】 大・大回顧展まとめ③と熱海の『起雲閣』

2020年4月21日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#345 祝!10周年スペシャル 春の熱海アートツアー②〜名建築!文豪の愛した起雲閣と隈研吾の海峯楼、10年間大回顧ベスト3!〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート3になります。
前回のパート2こちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

今回のパート3では10周年SPの「大・大回顧展」の山田五郎さんの1位の作品、そして熱海の名建築起雲閣』についてまとめていきます。
*放送内容は前後しております。ご了承くださいませ。

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《日傘の女性、モネ夫人と息子》モネ


《日傘の女性、モネ夫人と息子》1875年
クロード・モネ
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

こちらは山田五郎さんが選ぶ1位の作品でした。
2011年に国立新美術館で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」にて展示されました。

この作品は1875年、モネが35歳頃に描いた作品です。
この頃はまだ売れる前で、お金も全然ない中で結婚し子どももいました。

その前年の1874年には画家仲間と印象派展を立ち上げるも当初は評価を得られませんでしたが、それでもモネ一番やる気に満ちて幸せだった頃に描かれた作品です。

1878年にはパトロンだったエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの6人の連れ子との同居生活が始まります。
やがてモネが評価され始めた頃、1879年に描かれている妻のカミーユが亡くなってしまいます

その後1886年に、その連れ子をモデルに、もう一度《日傘の女性、モネ夫人と息子》と同じ構図で作品を描きます


しかし、モネその顔を描くことができませんでした

それ以降モネは人物画を描く事はなくなり、(またそれを避けるように)『睡蓮』や『積み藁』の連作を描いていくのです。


この《日傘の女性、モネ夫人と息子》には、モネの人生の中で一番幸せだった時の思い出が詰まっているのです。
山田五郎さんはこの作品について以下のように述べていました。
『人間は成功した後よりも、成功しようと思っている時が一番幸せ。
大してお金もなく、子供が小さいなかで、「子どもたちにもっと良いものを食わせたいな」と思いながら、切ない想いで生きていたこの時こそが、後々に振り返ると「一番幸せ」だったなと。
そういう作品だと思う』

そう聞いてこの作品を見ると見え方が変わってきますし、
モネに対するイメージも変わってきますね。

起雲閣

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ここからは10周年スペシャルで取り上げられた熱海の名建築『起雲閣(きうんかく)』についてまとめていきます。

起雲閣』は、熱海の三大別荘の一つに数えられていました。
(他2つは、『岩崎別荘』と『住友別荘』です)
敷地全体はおよそ3000坪の広さを誇ります。

こちらの起雲閣は、1919年(大正8年)に船舶事業で財を成した内田信也(うちだ のぶや)が母親の静養の場所として建てたのが始まりです。

その後、1925年(大正14年)に東武鉄道の創始者の根津嘉一郎(初代)(ねづ かいちろう)が二代目の所有者となります。

青山にある「根津美術館」はこの根津嘉一郎(初代)さんのコレクションを収蔵した美術館ですね。

そして戦後になり、1947年(昭和22年)に政治家であり実業家でもあった桜井兵五郎(さくらいひょうごろう)が三代目の所有者となり、「起雲閣」という名で旅館を始めました。
そして平成11年まで旅館として利用されてきました。

現在は旅館は廃業し、観光施設になっています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

著名な文人もこの「起雲閣」を訪れています。

それでは建物の中を見ていきましょう。

和館・麒麟の間

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それではまず和館と呼ばれる日本建築から見てまいります。
この「麒麟の間」は3代目所有者の桜井兵五郎によって改装されました。

ずいぶんとビビッドな色遣いですね~

桜井兵五郎は金沢の出身という事で、”加賀の青漆喰”と呼ばれる群青の壁の色使われています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ガラスは建てられた時の大正時代のガラスが今も使われています。
凹凸があり、陽炎のようにゆらゆら揺れて見えるようになっています。

旅館を経営した桜井兵五郎は、従業員に「建物には注意するように」と日頃から伝えていたので、今日まで大正時代のものが100年近く残っているといえます。

ちなみに現在の「起雲閣」の維持費は年間で約6000万円になるそうです。

取り壊しの危機

この「起雲閣」はじつは平成10年頃に競売物件にかけられているという話が出ていました。
その当時はこのような大きな施設が転売され、マンションに建て替えられたりというのが頻発していた時期でした。

そこで「ここは残しておくべきだ」と考えた熱海市民の皆さんが活動します。
その結果、平成12年に熱海市が約12億5000万円で購入する運びになり、「起雲閣」を守ることができました。

現在では、年間でおよそ10万人が訪れる観光施設となりました。

今回はここまでになります。
最後までご覧頂きありがとうございました。
続きは現在記事作成中です。

コメント

  1. […] 今回の記事は以上になります。 つづくパート3では「大・大回顧展」ラスト・山田五郎さんの1位の作品と、熱海の名建築『起雲閣』についてまとめていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

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