【NHK歴史秘話ヒストリア】正倉院特集まとめ①

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2020年5月13日にNHKにて放送された「歴史秘話ヒストリア」の【正倉院宝物 守られた奇跡の輝き】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

奈良の東大寺。
「奈良の大仏」が安置されている東大寺大仏殿から北北西の位置に正倉院はあります。

そこには1300年に渡って守り伝えられてきた宝物、正倉院宝物があります。
シルクロードを通って運ばれてきた当時最高の技術と美意識。

古代の宝物がその美しさを保ったまま現代に伝えられている例は、世界的に見ても正倉院だけです。
令和元年(2019年)には新天皇の即位に伴って、東京国立博物館で正倉院宝物の展覧会が開催されました。
総入場者数はおよそ36万人で、一日当たりの平均入場者数は約1万人

また同じ年に奈良国立博物館で開催された「第71回正倉院展」ではわずか20日間の会期で総入場者数27万人を記録1日平均で見ると1万3857人で、これは2019年の展覧会で最も高い数字となります。
いかに正倉院宝物が日本人に愛されてきたのか、この数字を見ただけでも分かります。

奈良時代に生まれた正倉院宝物。
時の天皇である聖武天皇の愛用の品々を、天皇の死後正倉院に収めたのがその始まりです。

それでは早速正倉院を代表する宝物から見てまいりましょう。

《平螺鈿背八角鏡》

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

正倉院宝物《平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいはっかくきょう)》。
直径は27センチ。
この豪華な装飾は鏡の裏側です。

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

それらの装飾は世界各地から集められた材料が使われています。
全体を覆う銀色の部分は、東南アジア産のヤコウ貝を切り抜いて作られる螺鈿です。

花の赤色の部分には琥珀が使われています。
こちらはミャンマーの奥地で採れる宝石です。

そして全体に散りばめられた1ミリほどの模様は、中東産の宝石トルコ石が使われています。

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

この鏡が作られたのは古代中国の唐でした。
唐は618年から907年までユーラシア大陸随一の世界帝国としてその名を轟かせていました。
その強大な力ゆえ、このような豪華な鏡を唐では作る事ができました。
そしてそこから日本へと運ばれたのです。

《白瑠璃碗》

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

こちらも正倉院を代表する宝物、《白瑠璃碗(はくるりのわん)》です。

高さは9センチのガラスの器です。
色は透明で薄く褐色味があり、ササン朝ペルシャで作られたものと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

光を当てる事で、外面を覆う六角形の模様の一つ一つに無数の輝きが浮かび上がります
これはお椀の反対側の模様が映り込んでいるのです。

表面が凹面レンズのような役割をしており、これによりまるで宇宙のような世界が広がります。
この完璧なデザインから、ササン王朝には相当腕の立つデザイナーがいた事が分かります。

日本で作られた宝物!?

このように正倉院宝物には「海外で作られて日本に持ち込まれた」というイメージが強いかと思います。

私も小学校の時にそう習った記憶があります。

しかしじつはそうではないというのが、最近の研究調査で分かってきています

《粉地花形方几》

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

こちらの《粉地花形方几(ふんじはながたほうき)》は、正倉院中倉に納められている仏前にお供物を献ずるための台です。

こちらの白い部分に使われている成分を分析した所、”塩化鉛”が検出されました。
この塩化鉛は、古代の日本で白色の絵具として使われていた物質だったのです。
この事から、《粉地花形方几》は日本で作られた宝物であるという事が判明したのです。

《楓蘇芳染螺鈿槽琵琶》

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

こちらの《楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんのそうのびわ)》も我が国で作られた宝物です。

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

裏面にびっしりと螺鈿の装飾が施された豪華な琵琶です。

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

表面には絵が描かれており、その完成度の高さから唐で作られたものだと考えられてきました。
しかし《粉地花形方几》同様に、この宝物からも塩化鉛が検出され、国産のものであることが分かりました

《粉地彩絵八角几》

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

さらに《粉地彩絵八角几(ふんじさいえのはっかくき)》からは、材料の木の調査を行った結果、国産の檜が使われていることが分かりました。

これまでは遥か彼方のシルクロードを通って日本にやってきたと考えられていた正倉院宝物は、そのほとんどが国産品だったのです。
その数はおよそ9000点ある正倉院宝物の中の9割以上にのぼるといいます。

9割以上て・・・びっくりですね!

今回のパート1は一旦ここまでです。
続くパート2では、一体誰が何の目的で、日本で宝物を作ったのか見ていきます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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