2018年1月28日にNHKで放送された「日曜美術館」の【熱烈!傑作ダンギ クリムト】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
クリムトとファッション
これまでにない絵画表現で、数々の傑作を生み出していったクリムト。
彼は絵画のみならず、新しいファッションも作り出していました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
当時の上流階級の女性は、極端にウエストを締めたドレスを着用していました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
クリムトはそんな窮屈なドレスから女性を解放させ、その上で個性を自由に発揮できる服をデザインします。
1907年1月、「ドイツ芸術と装飾」という雑誌に、クリムトがデザインしたドレス10点が掲載されました。
それは体の線を強調するのではなく、体系を覆い隠すようなゆったりとしたデザインでした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
クリムトは撮影も自身で手掛けます。
この時代はまだファッションを見せる事を目的とした写真がない時代です。
彼の先見性が伺えます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そんなクリムトのパートナーとなったのが、エミーリエ・フレーゲでした。
元々、クリムトの弟のエルンストがエミーリエ・フレーゲの姉とが夫婦の関係でした。
しかしエルンストが結婚して間もなく、一人娘を残して他界。クリムトがその後見人となったのです。
このような出来事があり、クリムトがエミーリエを知る事になります。
エミーリエは当時としては珍しい女性実業家で、ブティックを経営、ファッションデザイナーでもありました。
《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年
グスタフ・クリムト
ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ蔵
クリムトはエミーリエの肖像も残しています。
《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》
続いて取り上げる作品は《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》です。
映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』でも取り上げられたクリムトの傑作です。
《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》1907年
グスタフ・クリムト
ニューヨーク、ノイエ・ギャラリー蔵
頬を赤らめた女性。顔と手首以外は全て金の衣装に覆い隠されています。
ドレスには日本やエジプトから発想を得たといわれる文様など、クリムトが習得したデザインが余すところなく描かれています。