2020年3月3日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#339 東京都美術館「ハマスホイとデンマーク絵画」展〜幸福の国が生んだ巨匠“北欧のフェルメール”その静謐な世界〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
今回はスケーイン派の画家たちの作品についてまとめていきます。
⑵スケーイン派と北欧の光
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
デンマークの首都のコペンハーゲンはシェラン島という島にあります。
画家たちはコペンハーゲンの周囲の風景やシェラン島の風景を多く描きました。
一方の反対側のユラン半島は荒々しい風景が広がっており、あまり好まれてはいませんでした。
しかし近代化が進み、コペンハーゲンやその周りの風景は変化します。
デンマークらしい風景が徐々に失われていったのです。
そこで画家たちはそれまであまり訪れる事のなかったユラン半島へ、デンマークらしい風景を求めて足を運ぶようになります。
そのユラン半島の中でも人気の場所が、最北端のスケーインでした。
その地の独特な厳しい自然環境と、そこで繰り広げられる漁師たちの日々の労働に画家たちは惹きつけられます。
次第に画家たちが集まるようになり、スケーイン派と呼ばれるグループが形成されていくのです。
そのグループ内で互いに切磋琢磨し、影響を与えながら作品を制作をしていきます。
《ボートを漕ぎ出す漁師たち》ミケール・アンガ
《ボートを漕ぎ出す漁師たち》1881年
ミケール・アンガ
スケーイン美術館蔵
スケーイン派の代表的存在とも言える画家、ミケール・アンガの作品です。
この「漁師たち」という主題は特に初期のスケーイン派が頻繁にモチーフにしました。
この《ボートを漕ぎ出す漁師たち》で描かれているのは漁に出ていく場面ではなく、海難事故の救助に向かう場面を描いています。
スケーインの海は非常に荒れやすく、海難事故がよく起きていました。
右側の砂浜にいる人たちは心配そうな表情で漁師たちを見ています。
画面からは緊迫した状況が伝わってきます。
ミケール・アンガはこのような海難事故の救助に向かう場面を多く描いていますが、特徴としては「どのような海難事故があったのか」を描くのではなく、「緊迫感」を描くという点が挙げられます。
また漁師たちは右から左にボートを押していますが、西洋絵画の伝統では文章同様に左から右に展開するのが一般的でした。
この作品では通常と反対の流れにする事で、そこから普通ではない感じ、事態の切迫さや不安な感じを伝わるように描かれています。
画家 ミケール・アンガ
ミケール・アンガ(Michael Ancher、1849-1927)は1871年に王立美術アカデミーに入学します。
そしてアカデミー在学中の1874年にスケーインを訪れ、その後毎年のように足を運びます。
結局アカデミーを卒業することなく、スケーインに定住するようになります。
そしてその地で唯一の宿を営んでいたブランドム家の娘アナ・アンガと1880年に結婚します。
妻のアナ・アンガも画家で、今回の展覧会では彼女の作品《戸口で縫物をする少女》も展示されています。
ミケール・アンガの代表作《奴は岬を回れるだろうか?》は国王に購入されるなど、その評価を確立していき、スケーイン派を代表する画家として知られるようになります。
《奴は岬を回れるだろうか?》1880年頃
ミケール・アンガ
フレズレクスボー城歴史博物館蔵
*「ハマスホイとデンマーク絵画」展の出展作品ではありません。
《朝食—画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン》クロイア
《朝食—画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン》1893年
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア
ヒアシュプロング・コレクション
描かれているのは、
一番左がこの作品を描いたピーザ・スイヴェリーン・クロイア
中央がクロイアの妻のマリーイ
右の男性が作家のオト・ベンソン
の3人です。
まさに「ヒュゲ」な作品ですね!
画面も明るく、たいへん和やかな雰囲気の伝わる作品ですが、じつは作家のオト・ベンソンはこの10日程前に母親を亡くしています。
その傷心を癒すために画家夫婦の元に訪れているのです。
デンマークの人が大事にする”ヒュゲ(心地よさ、くつろぎ、憩い)”がよく表現されています。
画家 ピーザ・スィヴェリーン・クロイア
この作品を描いたクロイアは画家としてたいへんエリートな経歴で、ハマスホイよりも以前に国際的な評価を得ました。
若いころからその才能を買われ、パリに留学しサロンでも入賞を果たします。
パリではロートレックやジョルジュ・ブラックも習っていたレオン・ボナの画塾で学んでいます。
パリの最先端の芸術や印象派を取り入れつつ、アカデミーでの古典的なものも学んだ画家です。
この作品ではクロイアの上手さがよく表れています。
妻の洋服の黄色と、画家の洋服の青色であったり、花瓶の黄色と食器の青色など黄と青の組み合わせが画面の中で響き合っています。
このような色彩感覚であったり、光の捉え方などが非常に印象派的な感じを受けます。
ガラス瓶などの描き方は粗いタッチで描かれており、どことなくエドゥアール・マネを彷彿とさせます。
《スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア》
《スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア》1893年
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア
ヒアシュプロング・コレクション蔵
クロイアはスケーインの海岸を描いた、「青の絵画」と呼ばれるシリーズで人気を得ました。
デンマークは夏の日照時間が長く(なんと夜の9時10時くらいまで明るいらしいです( ゚Д゚))、その日が沈むか沈まないかくらいになると、青い光に包まれる瞬間があるといいます。
この作品では、その青い光に包まれた抒情的な風景を描いています。
こういった綺麗な作品がスケーインを宣伝する形になり、更に多くの画家や旅行者がスケーインに足を運ぶようになっていくのです。
今回の記事はここまでです。
続くパート3では、デンマークの19世紀末の絵画についてまとめていきます。
こちら☚からご覧いただけます。
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