2025年9月16日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【日本画の巨匠 東山魁夷】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
日本画の巨匠 東山魁夷
静寂の青い森。
その中にぽつりと白馬が。
まるで幻想のように…。
この絵には次のような詩文が添えられている。
「心の奥にある森は
誰も窺い知ることは
出来ない」
東山魁夷(1908-1999)は深い精神性を秘めた心象風景を叙情豊かに描いた日本画家である。
1908(明治41)年、横浜の生まれ。
中学生の頃、油絵を描くことに夢中になり洋画家の道を志す。、
しかし厳格な父の助言により、東京美術学校では日本画を専攻。
東山魁夷の才能は在学中からずば抜けていた。
帝展では二度の入選を果たしている。
卒業後はドイツへ留学し、ベルリン大学で美術史を学ぶ。
ヨーロッパの芸術や文化に触れ、大いに刺激を受けた。
1935年、日本に帰国。
祖国に帰った東山魁夷の画家人生は順風満帆なものに思われたが、ここから過酷な試練が待っていた。
母が病に倒れ、翌年には父が急逝してしまったのである。
そして太平洋戦争がはじまると、招集を受け熊本の部隊に配属される。
そこで爆弾を抱え、戦車に突撃する訓練を受けた。
東山魁夷は絵の道を諦め、死をも覚悟したという。
それでも何とか終戦を迎えたが今度は母と弟が続けて病死。
東山魁夷は悲しみを深い絶望に突き落とされた。
そんな失意の中、千葉県の鹿野山(かのうざん)に登った東山魁夷にある天啓が訪れる。
山頂から沈みゆく夕日を眺めていると、自己も自然も無常の中で生きる一体のものであると実感するに至った。
この経験をもとに描いたのが《残照》である。
夕日に照らされた峰々を輪郭線を極力排し、微妙にグラデーションをつけた色の面のみで見事に表現。
第三回日展において特選に選ばれた。
以降東山魁夷は取りつかれたように全国各地を旅し、新しい風景画を模索する。
そしてたどり着いたのが一本の道。
簡潔明瞭な構図のなか、奥へ向かって消えゆく一本の道がそこに。
希望に満ちた未来を暗示するこの絵は、戦後の日本画を代表する一枚と高い評価を得た。
自然の中に身を置き風景と対話しながら、何を省略し何を残すかを熟考し、
明快な構図で描きあげられた東山魁夷の風景画は実に静謐で流麗であった。
また親交のあった川端康成から勧められ、いにしえの都も描いている。
失われつつある京都の四季の移り変わりを、柔らかな構図とぬくもりのある色合いで叙情的に描きあげた。
多くの日本人の心をとらえた詩情豊かな作品の数々。
こうして東山魁夷は国民的画家となっていった。
4500万円で購入した東山魁夷の絵
改めて依頼品を見てみよう。
東山魁夷の絵である。
大胆に切り取った明快な構図はいかにも東山魁夷らしい。
松の木に降り積もる雪の質感の柔らかさや、
しんしんと降る雪の表現も実に幻想的である。
果して鑑定やいかに?
本物 5000万円

すごい!5000万円!
「東山魁夷が73歳の時に、千葉県の市川市の自宅の庭の風景を描いた作品ですね」
「明るめに配色された背景。大ぶりの雪・ぼたん雪が、張り詰めた空気感というよりは、温かみを感じさせる。そんな作品になっている」
「魁夷自身が書いたエッセイの中に、『庭はその家に住む人の心を最も表すもの』という言葉があります」
「東山魁夷の穏やかな心持ちを感じさせるような、そんな作品だと思います」
「東山魁夷は青を基調とした、山なみとか湖」
「白馬のいる幻想的な風景、そんな作品を思い浮かべる方が多いと思うんですが」
「この作品はより近い視点で描いている、珍しい作品だと思います」
今回の記事はここまでになります。