【日曜美術館】法隆寺の至宝〜金堂壁画①【美術番組まとめ】

日曜美術館

2020年4月12日にNHKで放送された「日曜美術館」の【法隆寺の至宝〜金堂壁画をよみがえらせた人々〜】の回をまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

東京国立博物館で開催予定だった展覧会『法隆寺 金堂壁画と百済観音』。
こちらは残念ながら、この度の緊急事態宣言を受けて開催が中止となってしまいました。

私もこの展覧会は楽しみにしていたので、非常に残念な気持ちでいっぱいです。

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イントロダクション

奈良の法隆寺
今日取り上げる、法隆寺金堂は世界最古の木造建築として世界遺産に指定されています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

本尊の《釈迦三尊像》。
こちらはあの聖徳太子の姿を表しています。

その仏像群の周りを高さ3メートルを超える大きな仏画が取り囲んでいます。
大小12面からなるその壁画は『金堂壁画』と呼ばれ、浄土の世界菩薩の姿を表現しています。

しかし昭和24年(1949年)、その金堂が火災に遭います
壁画は焼け落ち、仏の姿も鮮やかな色彩も失われてしまいました。
その無残な姿からは、復元は不可能だと思われました。

しかしここに一筋の光が舞い込みます。
多くの画家によって焼損前の壁画模写が残っていたのです。

火災から18年後の昭和42年(1967年)、腕の立つ画家たちが集められ、金堂壁画再現模写のプロジェクトが始まります。
火災前の取られていた写真も残されており、模写作業の拠り所になりました。

法隆寺の至宝《金堂壁画》

金堂壁画は仏教美術史上では「前にも後にもない、優れた仏教絵画」だといいます。
描かれた時代は飛鳥時代ですが、それと同時期に描かれたインドや敦煌(とんこう)などの仏教美術と比べても、金堂壁画は別格と言えるほどです。

そもそもどうして仏の絵で、金堂の壁を囲ったのでしょう?
これは”仏教世界を絵で描き示す、視覚的理解ができるようにする”という目的がありました。
つまり仏教世界が仏像と壁画と合わせて表現されているのです。

桜井香雲(明治時代)の模写

明治時代初期、一人の外国人が金堂壁画に熱い視線を注ぎました。
彼の名はアーネスト・サトウ、イギリスの外交官でした。

アーネスト・サトウに依頼され、模写を描いたのは大阪の絵師、桜井香雲さくらいこううん、1840-1902)でした。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

イギリス・ロンドンにある大英博物館。
ここにそのアーネスト・サトウが依頼し、桜井香雲が手がけた模写が収蔵されています。

これをきっかけに明治政府も文化財の保存を目的に、正式に模写を依頼します。
その時にある壁画のシミや傷の状態をそのまま写す、「現状模写」という方法が取られました。

精度の高さを求められたこの仕事は、金堂壁画の上に紙を乗せて、その紙を上げ下げしながら写す方法(上げ写し)によって描かれました。
こうして12面をおよそ2年の歳月をかけて、桜井香雲は描ききりました。


《法隆寺金堂壁画(模本)第1号壁 釈迦浄土図》明治17(1884)年頃
桜井香雲模
東京国立博物館蔵

画像出展元:ホームページ「東京国立博物館」より

鈴木空如(大正時代)の模写

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

大正時代に入ると、仏画師の鈴木空如すずきくうにょ、1873-1946)が金堂壁画の模写を描いています。
彼は特に誰から依頼されたわけでもなく、自ら進んで仏の姿を写しました。

全12面の金堂壁画を実寸大で、なんと生涯3度も描きました。
(大正11年、昭和7年、昭和11年)

空如は1873年に秋田県に生まれます。
画家を志しますが17歳の時に日清戦争に召集されます。
空如はそこで戦争の現実を目の当たりにします。
兄に記した手紙には、「道々死屍累々、足のつき場もなし」とその悲惨な光景を記しています。

その後復員し、25歳の時に東京美術学校に入学します。
その頃から法隆寺金堂に足を運び、壁画の模写に励みました。


画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

空如が描いた大量の下図が今も残っています。

この下図では仏様の顔や手を何度も描いています。
空如”線”にこだわりました
これは仏様を描くうえで欠かせない「鉄線描(てっせんびょう)」という手法です。

文化財修復を手掛ける荒木かおり氏によると、鉄線描とは、古い時代の仏様を描くとき時など、本当に神聖な御姿を表現するために使われる技法との事です。
その線に意味を持たせない、いわば心を無にして、均一な線で描ききらなければならないといいます。

特に法隆寺金堂壁画で用いられている鉄線描は、怒りや喜びといった感情・邪念のない本当に見事な線、心が真っすぐな線が引かれているといいます。

空如は無の境地で鉄線描を会得していきます。
そんな彼にまたしても死の影が忍び寄ります。

最愛の一人娘の豊子が、喘息を悪化させわずか5歳で亡くなります。
娘をなくした空如は、そこから更に金堂壁画の模写に取り組みます。
その姿はまるで修行僧のようでした。

パート1は一旦ここまでです。
続くパート2では、その空如が描いた壁画の模写を見ていきます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 2020年4月12日にNHKで放送された「日曜美術館」の【法隆寺の至宝〜金堂壁画をよみがえらせた人々〜】の回をまとめました。 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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