2025年6月3日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【十三代 中里太郎右衛門のぐい呑み/安井曾太郎/仁阿弥道八/北大路魯山人/東山魁夷/古伊万里の皿】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
十三代 中里太郎右衛門のぐい呑み
依頼品は十三代中里太郎右衛門のぐい呑み。

これはすごい!
「唐津焼の名門、中里家十三代中里太郎右衛門の作品ですね」
「十三代っていうのは、お父さんの十二代と一緒にね、桃山時代の唐津焼の再現に一生を捧げた」
「昭和44年、十三代を襲名してすぐ40代半ばの一番力の入った時の作品ですね」
「手製でもって筆太に草花文を描いて、透明な長石釉潮をささっとかけて。簡単に作ってるようですけれども、しっかりと力がみなぎっている」
「酒好きで焼物好きにはたまらないもんなんですよ。使った方がいいでしょう。味わいだからね」
巨匠 安井曾太郎
「自分はあるものを、あるがままに現わしたい」
「迫真的なものを描きたい」
「本当の自然そのものをカンヴァスにはりつけたい」
安井曾太郎は独自の様式を確立し、日本の洋画界をリードし続けた巨匠である。
1888年、京都の木綿問屋に生まれる。
幼くして商人に向いていないと気付き、16歳の時に浅井忠が創設した聖護院洋画研究所に入所すると、たちまち頭角を現した。
ここで出会ったのが、同い年で同じく京都の商家出身の梅原龍三郎である。
梅原は後年、日本を代表する洋画家となるが、その梅原をして…
「この男(安井)のデッサンには到底及ばない」と言わしめた。
その後安井は19歳から7年間、フランスに留学。
名門アカデミー・ジュリアンで学ぶと、ますます腕を上げ、毎月行われる学内コンクールでは賞を独占した。
若くしてアカデミックな画法を我が物にした安井であったが、留学中最も心をひかれたのはポール・セザンヌであった。
形や色を単純化し、対象を再構築するというセザンヌの斬新な描き方に感銘を受け、己の進むべき道を見出したのである。
帰国後の1915年、二科展で留学中に描き溜めたセザンヌ風の油絵44点を発表すると、日本の美術界から大きな衝撃をもって迎えられた。
しかし、この後安井は長いスランプに陥ってしまう。
若い頃に学んだ形や明暗を見たままに捉えるというアカデミックな画法が完全に払拭しきれず、迷いが生じたのであろう。
セザンヌの絵から受けた感動を、日本の文化や風土に合った独自の様式で表現したい。
悪戦苦闘すること15年。
ついにたどり着いた記念碑的作品が《婦人像》である。
ある部分は省略し、ある部分は強調することで、生き生きとした躍動感を生み出すことに成功したのであった。
これは類いまれなデッサン力があってこそなせるもので、安井様式と呼ばれた。
安井の肖像画はモデルの人柄だけでなく、人生そのものが表現されていると絶賛された。
風景画もまた然り。
自然から受けるあらゆる感覚をキャンバスに写し取った。
代表作《外房風景》は、千葉県太海にある旅館からの眺めを描いたもの。
コントラストを強調した大胆な筆致で、家並みや白波の立つ海を的確に捉えており、臨場感に溢れ、じっと見ていると強い日差しや腕に吹く風までもが伝わってくるかのようである。
安井は目に見えない感動を、絵として表現することに成功した数少ない画家の一人であった。
1952年、盟友梅原龍三郎と共に文化勲章を受賞。
その3年後、急性肺炎に心臓発作を併発し死去。
67歳であった。
安井曾太郎の油絵
改めて依頼品を見てみよう。
安井曾太郎の油絵である。
川に小船が行き来し、背景には倉庫のような建物が描かれている。
安井にしてはオーソドックスな描き方で、このことからすると安井様式を確立する以前の作か?
果して鑑定やいかに?
残念!偽物

残念!5,000円!
「安井曾太郎作品ではありません」
「ぼやっとして、何が描いてあるかよくわからないよねっていうのが正直な感想ですね。安井の表現力が高さには全く届いてないですよね」
「右下のサインですけれども、これはスタンプサインなんです。印鑑で押されてる」
「67歳で他界してしまったんで、アトリエにいっぱい作品がまだ残ってたんですよ。それを遺族の方たちが「S. Yasui」っていう印鑑を押して、大量に作品を市場に出したんですね」
「我々の世界ではそれを”アトリエ出し”って言うんですけど」
「ただこの印証は真印証とは異なるんですね。要はアトリエ出しを装った偽物の作品」
「もし本物でしたら200万円ぐらいは」
仁阿弥道八のたぬき
こちらのたぬきの置き物。
作者はなんと江戸後期に活躍した京焼の名工、仁阿弥道八だという。

2千円!残念!
「京土産ですね」
「江戸後期の名工。あまりにも有名なんでね」
「道八というハンコを押したたぬきの置き物が現代に至るまで作られてる」
「本物の道八のたぬきというものは、香炉・手あぶり・実用品を作ってある」
「こういう置き物はないんですね」
北大路魯山人の焼物 2点
依頼品は北大路魯山人の焼物2点。
どちらも100万円ほどで購入したという。
こちらは織部焼の花入。
一方こちらは志野焼の茶碗。

350万円!これはすごい!
「北大路魯山人の作品、間違いございませんね」
「竹の花生けはね、昭和20年代前半の作品」
「非常に珍しい形で、得意とする織部ぐすりをどっぷりかけてね」
「黄色・赤・緑と変わっていくグラデーション」
「竹の生命力を託しましたね」
「切り口のとこに穴を開けましたよね。実に自然体で花が生けやすくなってる。魯山人ならではの匠ですね」
「鼠志野の茶碗。これは名作ですね」
「赤は紅葉。それに対して長石釉の白で菖蒲を描いてる。春と秋という対比で、お茶を飲む方が自然に心を遊ばせるように考えた」
東山魁夷のペン画
東山魁夷のペン画。
依頼人の実家の玄関に飾ってあったものだという。

200万円!すごい!
「本物で間違いありません」
「東山魁夷は昭和を代表する日本画家」
「『道』に代表される静謐で神秘的な風景画は本当に多くの人に好まれる。人気・実力ともにトップ」
「依頼品は『古都を描く』っていう画集、その挿絵の原画」
「1969年頃の作。ドイツからオーストリアにかけて写生旅行をしていたんです」
「ディンケルスビュール。ロマンティック街道沿いに位置する中世の風情ある街なんです」
「即興で描いたんでしょう。道を歩きながら上を見上げたような構図。シンプルで手数は少ないですけれども、的確に特徴を捉えた非常にかわいらしい図柄。貴重な作品なので、ぜひ大切にしてください」
古伊万里の皿
依頼品は古伊万里の皿。
中央に一風変わった白猫が描かれている。

まさかの300円!
「新しい有田焼なんですよ」
「デザインがめちゃくちゃ。古い日本の焼物っていうのは故事来歴がしっかりしてるの」
「雀が描いてあるでしょう?雀は”竹に雀”なの。葡萄はリスなの」
「全部猫の周りに寄せちゃいましたね」
今回の記事はここまでになります。